34.きっと、願い叶えて

   エアーの様子を見て、ジーオはふうと息を吐いた。失笑のように苦笑を浮かべ、自分の襟首をつかむエアーの手を掴む。
「わかったから、とりあえずどけ。剣を向けないから」
 自然とエアーの手が離れて、ジーオの上からどく。ほぼ同時にジーオは起きあがって、そのまま立ちあがった。すぐに剣を拾うと、すとんと鞘に納めた。
「お前が決めたのなら、願いは叶う」
「?」
「叶う」
 エアーはジーオを見た。エアーの眼が赤い。袖で強く擦ったから涙だけは跡形もないけれど、明らかに泣いたことはわかる。エアーの顔をみてジーオが失笑した。
「叶う。信じていれば、必ず叶うと俺は信じている」
 そう、
「赤紫の眼がなんだという。そんなもの迷信だ」
 言って喉を鳴らし、エアーから目を逸らすと他所に目線を送った。
「そうなのだろう? クレハ」
 ジーオが目線を送った先に居たのはクレハ・コーヴィ。クレハはぽりぽりと頭をかいた。横にキィリの姿がある。
「そう、だな」
 居心地が悪そうにクレハが答えれば、ジーオが笑みを湛えた。歩み出したクレハの後ろでは、キィリが立ち止まったまま様子を眺めている。
「迷信に決まってる。つーか俺天魔の獣たちの信者じゃねーし」
 それよりも二人が喧嘩してたことのほうが話題にしたかったけどな、とクレハは至極小さな声で続けた。声にジーオは微笑んだだけ。ジーオの顔を見てクレハは肩をすくめた。
「まいっか。なーエアー。いきなりだけど、本当お前これからどうするんだ? 俺はお前が喧嘩するほど元気になってくれたから、明日にはイリスベ出て、ウィアズに帰る。帰ろうと思ったからな。ついてくるか?」
「うん……」
 エアーはクレハから目を逸らして、少し、考えた。
「……いいや」
「ん?」
「いい。ついてかない。まだ帰れないから」
 エアーは顔をあげてクレハを見た。明るさのない笑顔にクレハは苦笑した。
「別に王城戻らなきゃいいだけだろ。頑なにウィアズに入ろうとしなくてもいんじゃねーのか?」
「いいよ。もう少し色んなところ見てくるから」
 クレハが眉を上げた。
「クレハだって旅始めたころは何もわかんなかったんだろ? 俺は結構教えてもらったから、まだましだし」
 それに、とエアーはクレハを見て顎を上げた。
「言ったろ? 生きられる“大人”になるって」
 数秒の間。
 誰からもなんの返答がないことにエアーが訝ったのは、一瞬。
 クレハがふっと笑った。同じようにジーオの顔も緩んでいて、遠くのキィリが呆れた風に肩から力を抜いたのが見えた。
「そーいや、そうだったよな。エアーはまだまだガキだもんなあ」
「う、うるさいっ! どうせガキだよ! ガキって認められるだけガキだよ!」


 きゃんきゃんと子犬が吠えているようなエアーとそれを弄ぶクレハの様子を横に、キィリがジーオに歩み寄った。ジーオはキィリを見て、また少し微笑む。
「痩せたか?」
「やつれたんだ。あのガキ、うるさいったらありゃしない」
 ふん、と息を吐いてキィリ。
「お前こそまた痩せただろう。その調子じゃあと四〇〇日ぐらい、持たないね」
「持たす。何が何でも。そのために来てくれたんだろう」
「そうさ。お前の千日祈願が成功しなかったら、エーオになんて言われるかわかったもんじゃない」
 言って肩にかけていたバッグをぐいとジーオに押し付けた。
「全部お前に持ってきたものだ、とっとと持ちな。重いったらありゃしない」
 ジーオは失笑した。そして、感謝した。
 千日祈願を始める前と全く変わらない態度で接してくれる親友に。兄弟の恋人でもあった彼女に。
「そうさせてもらう。――あぁ、そうだ」
 キィリのバッグを持ち上げてジーオはエアーとクレハの方向を見やった。
「エアーにグリンランドのある海にこの山の石を届けてくれと頼もう。エーオの夢だった」
「グリンランドを臨む海が見たい、ってね」
 キィリが微かに笑う。目線を風に漂わせた。
「いいんじゃない?」
 漂わせていた眼を、山の外に向ける。
 山をいくつも越えた先に、海はあるはず。イリスベに住んでいるだけでは知ることのできない、見ることのできない大海原が。
「ただあのガキが、『海に何の意味が』とか言いやがったら、本気で蹴飛ばすがね」
「あはは、俺もそうしよう」


 次の日の朝、クレハはイリスベを発つ。エアーは自身の出発の準備のためにもう一日はイリスベにいるつもりでいたから、クレハの見送りにイリスベの簡易な入口にいた。腰にはクレハから渡された剣が。
 クレハは馬に小さな荷物を乗せ終わると、「それじゃあな」と。
「元気でな。お前が帰ってくる頃は城にいるつもりだからさ、絶対俺に会いに来いよ」
「いいけど」
 エアーは意地悪くにやりと笑う。
「どこの所属だっけ? 聞き取り辛かったから覚えてない」
「お、お前な。俺はー、その……」
 この場でも言い辛いのには理由がある。
 というか流石にクレハでも『迷惑をかけている』という認識はある。所属なんですというのも申し訳ないぐらいに。
 おのずと声も小さくなる。
「アンクトック高等兵士の、だ。クォンカ高等兵士いる訓練場の隣」
「マジで?」
「マジだ。帰ったら隣なんだから、昼休みぐらいには会いに来いよ。約束な」
「迷いようがないから、行くしかないじゃん」
「な。くるしかないだろ」
 ニッとクレハが笑う。エアーも失笑した。
 クレハが馬に颯爽と跨る。
「あ、そうだ。その剣も大切にしろよ」
「わかってるよ」
「折るなよ? 絶対だ」
「わかってる。クサッベって人のところにもきちんと行くし」
「わかってるならよし」
 あとは何かあったか、とクレハは考えた。
 数か月ずっと一緒だった。離れるとなると少し心配にもなるし、少し寂しい気分にもなる。
「あ」
 と、声を上げたのはエアー。
 馬上のクレハを見上げて剣を掲げた。
「鞘は、クレハのだろ? ありがとう」
「おあ? あ、あぁ」
 クレハがエアーの顔から目線を逸らした。
「絶対大切にする。本当、ありがとな、クレハ」
「あ、あぁ……わかったから、連呼すんなって」
「何を?」
「なんでもだよ」
 クレハが軽く馬を歩かせ始めた。
「本当、大事にしろよ! 体もな!」
「クレハも!」
 離れていくクレハの背中に剣を掲げたままエアーは大きく手を振った。
 ――握られた剣。仄かに赤い刀身を持つ艶やかな剣。今まで使ってきた剣とは形状も違うのに、なぜかしっくりと両手につく。
 エアーはこの剣を『紅』と名付けた。理由は単純に紅いから。
 そして生涯、この地で出来上がったこの剣を、愛用しようと心に決めたのである。
  
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