3.少年たちの誓い

   不穏な騒がしさに高等兵士が現れたのは、少々時間が経った後のことである。エアーとチェオのいる辺りは血の海だ。その中で身動きしないエアーも、まるで死んでしまったかのようだ。
 先頭で現れたのはクォンカ・リーエだ。クォンカは血の匂いに少しだけ眉を顰めた後、血の海の中に身動きしないエアーを見つける。
「エアー?」
 生きているのかという確認の元にクォンカが呼びかける。エアーの肩がびくりと揺れた。
「どうした」
 饒舌で知られるクォンカには似付かない至極短い問い。エアーは至極ゆっくりとクォンカに振り返る。眼は閉じられないかのように大きく開かれたまま。
「何があったのか、話してみろ」
 促されるままにエアーの口がゆっくりと開いた。けれど出てきたものは言葉ではなく、吐き気。唐突に口元を押さえると、蹲って震えだした。
 クォンカは眉を顰める。血溜りの中をエアーに近づく。足下でぴちゃりと音が鳴った。
「ティーベリアがな、お前の戻りが遅いんで迷ったんじゃないかと心配していたぞ。ようやく台車が見つかったからってな」
 エアーの隣にしゃがんで、クォンカはエアーの頭に手を置いた。エアーは汚物を吐き出すことすらしていない。必死になって口元を押さえて、恐怖と吐き気と罪悪感を押さえていた。
「だが手伝わなくてもいい。悪いがお前を連れていくぞ。証拠がない限り、俺たちはお前を疑わなければならない。この状況でもな」
 クォンカはエアーの腕をとった。エアーの腕に力はない。
 立ち上がり、クォンカはチェオ・プロの亡骸をみた。半分だけ切り落とされた首、首に刺さったままの剣に手をかけたままの手。エアーに寝たままの首を半分だけ落とすなどと力技ができるはずがない。できるのなら、完璧に首が落ちているはずだ。恐怖で止めたのかもしれないが、ならばまず殺せない。
 だが、それがわかるのはエアーを見てきたクォンカのみだ。
「うぇっ……う……あ……」
 吐き気が、嗚咽に代わっている。クォンカはものさみしい気分でエアーを見下ろした。
 エアーの両目からぼろぼろと涙がみっともなく零れている。
「すいっ、ません……クォンカさん……俺……すいません……っ」
 エアーにも何を謝っているのかが分からなかった。何を謝っていいのかが。
 クォンカはエアーの両腕を持ち上げてエアーを立たせる。エアーはなされるがままだ。
「俺……俺、弱虫で……弱くて……本当……本当、すいません……っ」
「謝るな」
 クォンカがエアーの背中を叩いて歩かせる。ぴちゃりという足音が二つ。
「むしろ俺が、これからのことをお前に謝りたいくらいだ」
 だがいつか、とクォンカは思っている。
 いつかやらなければならなかったことだと、わかってはいたのだ。そしてそれをいつかエアーが理解し、戻ってきてくれることを心から願っていた。
「俺はお前に言ったろう。『いい剣士になれるぞ』と。俺を信じろ、エアー・レクイズ」
 エアーの涙は止まりそうにない。「はい」と答えたエアーの声は泣き声のまま。クォンカはもう一度胸中で嘆息した。

 続けてやってきたのは第二弓士隊長ホンティア・ジャイムだ。ホンティアは辺りにたちこめる血の匂いに顔を顰めた。
「ホン」
 クォンカはエアーの背中を押しながらホンティアを見やる。ホンティアはクォンカを見ると、猫をかぶった可愛らしい笑顔を見せた。
「なあに? 死体の処理くらいなら頼まれなくてもしてあげるわよ」
 クォンカは苦笑して親指で草むらを指す。ホンティアは指された方向を見やり、目を細めた、無感情な瞳。
「そう」
 クォンカはホンティアの顔を見、短く息を吐き出して笑った。
 ホンティアは草むらを見た。意識しなければ誰がいるとも感じられない草むらに、確かに人がいる。
 クォンカが何も言わずに去る。ホンティアは最初に少年の死体に向かった。
「出てきなさい。いつまでそこにいるつもり?」
「……はい」
 草むらから気配が現れた。ホンティアは一瞥もしなかった。
 草むらから出てきたのは鈍い金色の髪を一つに括った少年だった。――否、少年というには幼い表現過ぎるだろうか。丁度少年から青年へと成長している途上の弓士。弓を片手に持ったまま、ゆっくりと歩いてホンティアに近づく。水色の瞳を微かに細めた。
「手伝います」
「デコラーヴェの時には矢を放たなかった」
 彼は顔をしかめた。
「助けようと思わなかったの?」
「わかってて聞くのやめてください」
「あら、ただの確認がしたいだけ。答えたくなくても答えなさい」
「……」
 彼は弓を背負った。自分に見向きもしないホンティアを見つめる。同じような思いが彼女にも訪れたことがあるだろうかと、少しだけ思った。
「助ける暇もありませんでした」
「でも、エアーの――あの剣士の時は、助けた。不自然に矢が落ちてるわね、あなたのものでしょう」
「腹が立ったんです」
 ホンティアが目を閉ざしたデコラーヴェの体を持ち上げる。肩に担いだ。
「俺、たぶん、マウェートが嫌いです」
「あら、好き嫌いで戦うような子じゃないと思ってたけど」
「はい。それとこれとは話が別です。でも、俺は、許せない」
 ぺこりと頭を下げた弓士に、ホンティアは振り向いて目を細めた。彼が許せないと思うことを、ホンティアも昔感じたことがある。
「がんばりなさい、カラン」
「はい」
 応えて弓士――カラン・ヴァンダはホンティアに背中を向けた。
 あの時恐怖を覚えたのは、エアー一人ではなかったのである。
「ちなみにね、あなたは絶対に証言しちゃいけない。そういう立場になるわよ」
「はい?」
「それがね、高等兵士の――誰かって言ったら、クォンカと私の罪かしら」
 相変わらずの高い声でホンティアが言う。カランは訳も分からず首を傾げた。

■□

「――ということです。状況からは何も言えません。彼が主張するように、チェオ・プロが本当にマウェートの諜報員だったと証明するものは何もありません。ですがただの真剣勝負だったというわりには、不審が多すぎます。“疑わしきは罰せず”と言いますが、私はあえて一年間の休隊を求刑します」
 会議室の中に王国軍の高等兵士計十二名と国王がU型の机に座っている。真ん中にエアーは両手を縛られた状態で立っており、席についている中で一人立っているのは、エアーが所属する隊の隊長であるクォンカ・リーエだ。
 クォンカが状況の説明、見解、意見を述べ終わると、会議室の中はしんと静まり返る。
 痛いほど静か。
 エアーは口を閉じたまま目の前にいる国王の顔を眺め、そして周りの高等兵士たちの雰囲気を感じていた。
 ウィアズ王国歴六四年の式典が終わった次の日。八番目の月の二日目。
「一年は、優しすぎはしないか」
 国王が静かに口を開く。
「もしも本当に真剣勝負の末の殺害であったというのなら、今の民間のやり方では極刑になりえる。だがクォンカが自分の隊員が無実だと信じているなら、私は二年の休隊で許そうと思う。どうだ?」
「陛下のおっしゃる通りに」
 クォンカが軽く頭を下げる。
 国王がエアーを見た。
「どうだ、エアー・レクイズ」
 呼ばれてエアーは国王をしっかりと見た。
「陛下と、隊長の決定に従います」
 答えてエアーは頭を下げる。国王は「よし」と答えた。
「下がってよろしい」
「はい」
 踵を返した瞬間、エアーの視界の中に赤紫の色が見えた。――幼馴染の髪の色だ。
 赤紫の髪を持って生まれた人間は、巨大な魔力を持っているという。エアーの幼馴染であるアタラ・メイクルも確かに巨大な魔力を持っていて、昨年敗戦の撤退の折にマウェートに投降した高等兵士に隊を譲られ、今年の式典で正式に高等兵士に昇格した。
 エアーは事件以来牢に入れられていた。軍の昇格・新入、そしてウィアズ王国の新年度が始まったことを祝う式典には出られなかった。おめでとうと告げることはできなかったけれど、心の中で告げたのでいいと思っている。
 エアーが退室のために一歩進もうとした瞬間。
「エアー・レクイズ」
 アタラが唐突にエアーに声をかける。エアーは思わず足を止めてアタラを見た。
 アタラは眉をひそめてエアーを見ている。若干一六歳のウィアズ王国史上最年少の高等兵士。他の高等兵士の面々が並ぶ中で、怖じた様子はない。
「お前は誰だ?」
「それは、」
 自分も怖じずに答えた声を聞いて、エアーは胸中で少しだけ安心する。
「お前に言われる言葉じゃない」
 エアーは失笑すると、言い放った。
「言い返してやるよ、お前は誰だ?」
「アタラ・メイクル」
 即答し、アタラは変わらずエアーを見据える。
 エアーは目線を落とすと「そっか」と。
「覚えとくよ、アタラ」
 言うと、足を進める。
 アタラは変わらなかったのだと、エアーは思う。昔から強く、弱音を吐くことがない。
 そうなりたいからこそ、エアーはもう二度とアタラを姉と、ノヴァを兄と呼ばないと決めた。
 フリクで暮らしていた頃の、弱虫で泣虫で逃げることしかできない、助けを待つしかできない弱い自分にならないためにも。
 前に進むと決めた。
 きっと帰ってくると決めた。
 必ず強くなると、心に誓った。
  
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