29.願い

   登ってきた山道とは別の道から降りて、徐々に細くなる山道に入る。道が細くなったところで、ジーオが走るのを辞めた。
「もう少しだ。ここから先は慣れていない人間には危険だ、俺が確認してくる」
「現場から確認するまでは諦めたくない。連れて行ってくれ」
「……言うと思った。お前は誰かに似てるやつだな」
「誰だよ、誰かって」
「俺がよく知る人間だ」
 答えて、ジーオがゆっくりと進む。――と。
「おんやあ? ジーオじゃねーかい。精が出んなぁ」
 妙な訛りのだみ声が聞こえて、クレハは「あ!」と声を出した。
「その声はクサッベじゃねーかっ!」
「お?」
 ジーオの前、少しだけカーブを描いた道の向こう側から、背は小さいけれど体格が良い――言えば小さいおじさんが背中に布袋を背負って歩いてくる。ひげを風に揺らして眼は笑みを浮かべている。
「おお、小さいウィアズ人! クレハじゃあ」
「おう! 久しぶりクサッベ! 昼に行ったのにいないと思ったらこんなとこいたのかよ」
「たまには外に出んと体も頭も鈍るで」
 答えてわっはっはと、大きな声で笑う。釣られてクレハも笑いそうになって、かぶりを振った。
「あいやいやいやいやっ! クサッベ! そっちにガキの姿はなかったかっ!」
「ん? 何を急いどる」
「連れのガキが崖から落ちてさ! ジーオに落下地点を案内してもらってんだ。そっちに、ガキ、もしくは痕跡があっただろ? それ確認しようと思ってんだ」
「あぁ、落ちてきたガキなら拾ったわ」
「は?」
「傷だらけで気を失っとったから、アンズに医士んとこに連れてかせたわ」
「……マジで?」
「おう、マジじゃ。あのガキはとんでもない強運じゃあ」
 また大声でわっはっはと笑う、クサッベの姿にクレハは全身の力を抜いた。
「はああああ……マジかー」
「おう、マジじゃー。ガキを拾いにきたんじゃったら、キィリんとこいくとえーぞ。こん崖の下のあの医士だな」
 クレハは少しだけ考えて、「あぁあの医士だ」と思いだす。あまりいい思い出のない医士ではあった。
 ともかく、エアーが見つかったのだ。生きているらしい。そうそう落ちる人間などいないだろうから、エアーに間違いないに違いない。
 パシン、と音を立ててクレハは両手を合わせた。
「ありがとう、クサッベ! あいつ死なせたら夢見悪いし、友人らに何言われるかわかったんじゃなかった!」
「なあに、クレハさんも運がよかった、ちゅーこった」
 げらげらと笑いながら、クサッベが布袋を背負い直す。間に立つジーオの顔も、ふと緩んでいた。
「で、クレハさんや」
 髭だらけの顔を綻ばせてクサッベ。
 クレハが改めてクサッベを見やると、クサッベは布袋から鉱石を取り出して見せた。
「いい鉱石が見つかったんじゃ。そのガキん身体が良くなる頃までに、いい剣を打ってまっとるで」
「ん?」
「どうせそれを頼みにわしのとこ来たんじゃろ。まあ、これも巡り合わせ、っちゅーもんだ。こんな出会い方をしたのも巡り合わせ、山の神様が与えたもんだろーて」
 布袋の中に鉱石を入れてクサッベ。
「ガキんちょと一緒に落ちてきた石じゃあ。いい剣が打てそうじゃあ」
 鼻歌でも歌いそうなほど上機嫌にクサッベが二人の横を歩く。ぽん、ぽん、とジーオとクレハの肩を叩いてすれ違い、背中で手を振った。
 ぽかんとしていたのはクレハだ。ジーオも同じく言葉がない様子で、クサッベが消えて後、少ししてお互いの顔を見やって失笑した。
「巡り合わせ、ね」
 にやりとクレハが笑った。ジーオが淡く笑う。
「ってことだ。俺はエアーを迎えに行く。本当に悪かった、ジーオ」
「いや、これも巡り合わせ、だ」
 ジーオが軽く頭を垂れた。
 クサッベが見せた鉱石は、本当に珍しい鉱石だった。鉄色以外の色を放つ鉄鉱は、何かに優れているとも聞く。しかし加工にはそれなりの技術がいるのだと。
 イリスベ一の鍛冶士、クサッベならば問題なく加工できるのだろう。
 そのすべてに巡り合った存在、とジーオは思う。
「本当に、ありがたい、巡り合わせだ」
 聞いたクレハが破顔する。
「ホントな。羨ましいとも思えないぐらいの強運なやつ、他にはいねぇって。だから俺はあいつを簡単に諦めてやらねーんだ」
「お前はクレハ、といったか」
「あぁ、クレハ・コーヴィ。お前はジーオだな?」
「あぁ、ジーオ・ナルス。エアーが生きていたら、教えてくれ。エーオに教えたい」
「わかった。任せとけ」
 クレハの顔には満面の笑顔。片手を上げて別れを告げると、すぐに踵を返した。





 走り去るクレハ・コーヴィの後姿を見送って、ジーオは目を閉じた。
 目を閉じて、山の空気を肺いっぱいに吸い込む。
 もう、二年間山にこもっている。
 千日祈願とは、千日間山から一歩も出ずに、罪が許されることを祈願する行為だ。間違って人を殺してしまった人間が村の人間に、罪が許されるように祈願するように言われてする。もしくは自ずから祈願するもの。
 今まででも数例しか例をみない。そのほとんどが途中で祈願を断念するか、失敗している。
(エーオ。面白いガキがいる)
 薄らと目を開け、ジーオは空を見た。
 真っ青な空。
(たとえあいつらの言葉が本当だったのだとしても、俺は、この祈願を成功させる。俺の罪を、あいつらの罪を、許していただけるように、な)
 ジーオはもう一度、黙祷のように眼を閉じて首を落とした。
 ジーオには長い時間がある。
 今だ三〇〇日以上の時が。
(きっと、赤紫の眼など関係ない。願いは、叶う)


◆■■


 小さな背中。
 風に揺れる綺麗な赤紫色の髪。さらり、さらりと、音がしそうなぐらい。いつかその髪の毛に触りたいなと思ってもいたけど、まだおそれ多くて手が出せなくて。
 それでも、その小さな背中を、さらに小さな手でつかんだ。
 初めて、自分からつかんだ。その人の背中を。
『さようなら?』
 彼女が振り返った。黒い瞳。表情は厳しいのに、目の奥はなぜか優しくて。
 いつも、助けられていて。
 いつも、助けてくれて。
『さようなら、なの? アタラ姉さん』
 背中を掴んだ手を、彼女が払った。
 振り返る、瞬間に彼女の姿が成長する。
 それでもまだ幼い様子が抜けない、気丈な女の子の姿。
『エアー・レクイズ』
 真直ぐに向けられた言葉。
『お前は誰だ?』
 誰って――。
 自分は。


 自分は――。


 俺は。





 俺は――。
  
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