26.イリスベにて

   ドワーフの村、イリスベ。
 酒場のカウンターに一人で座りながら、エアーは頬杖をついて周りを見ていた。イリスベの酒場は真昼間だというのに賑やかで、すでに酒を高らかに掲げて笑っている村人たちがいる。
 みんな、体格がいいというか、力強そうだというか。髪も目も黒いのはウイズ族と一緒だけれど、ドワーフの肌の色は黒い。背は高くない。ウィアズ王国軍の剣士の中でも背が低い部類に入れられていたエアーの身長で標準サイズだ。
 ゴト、とエアーの目の前にグラスが置かれた。
「はい、おかわり」
 カウンターの向こう側で酒場の主人の夫人が優しく笑う。
「おごるよ。どっから来たんだい坊や」
「ウィアズ」
 出されたグラスを手にとって、エアーは夫人を見やった。
「ありがとう」
「気になさんな。坊やもウィアズから来たのかい。クレハと一緒だね」
「うん、城下町から一緒だから」
 答えてグラスの中の液体を飲む。薄い紫色の液体は、葡萄の果汁を薄めてできた、ヒッジュという飲み物だ。
 先ほども飲んだけれど、嫌いじゃない、と思う。甘いものなんてほとんど口にしないのに。
「へえ! たしかウィアズ人が城下町って言えば王様の住む城んところにある町のことだろう! そんなところに住んでたのかい!」
「っていうか――まぁ、いっか。俺の出身は港町のフリクだよ。城下町のことはよくわからない」
「港町――海だね。海の町だ。それもウィアズから来たんじゃ、こんな山の中に人が住んでるなんて思いもしないだろう?」
「そこまでじゃなかったけど、住んでるし、認めるしかないっていうか……」
 旅に出てからエアーがすることにしたこと。
 驚かない。
 驚くたびにクレハに子供扱いされるから、内心驚いていても驚いた様子を見せないことにした。本当はいろいろ気になることはあったりもしたけど、極力質問もしない。
 酒場の夫人がくすくすと笑った。エアーの表情に出たむくれっつらに、いろいろ悟ったのだろう。
「いくつなんだい?」
「十六。エアー・レクイズ」
「ん?」
「坊やじゃない。もう十六だっ」
「あぁ、そうか。エアーね。うん、覚えた」
 夫人がくすくすと楽しそうに笑った。ぽんぽん、とエアーの肩を叩いて、片手を振る。
「おばさん呼ばれちゃったよ。ゆっくりしていきなね、エアー」
「っ」
 ――子供扱いされた。
 エアーの表情はますますむくれっ面になる。むくれっ面でヒッジュを飲む様はまさに、いぢけた子供の他の何ものでもない。
(クレハ、おっそいしな……)
「わっりー! 待たせた、エアーっ!」
 まるでエアーの心を読んだかのようなタイミングでクレハ・コーヴィ。勢いよく酒場のドアを開けて、騒がしく叫んだ。エアーは呼ばれて振り返って、顔を真っ赤にする。
「さ……っ」
 言葉を詰まらせたエアーのことなど気にする様子もなく、クレハは席の間をすり抜けて歩いてくる。
「寂しい思いさせて悪いな。知り合いに会いに行ったら留守でさぁ。お兄ちゃん困っちゃったよ」
「誰が兄さんだ!」
 カウンターの椅子から勢いよく立ちあがってエアー。
「叫ぶなよっ! こんなところで!」
「お? お前がそれ言うなって」
「うるさいっ! 大声で呼ぶなよな! っていうかとりあえず、クレハなんか兄さんじゃないからな!」
「あはは、悪い悪い」
 楽しそうに笑いながらクレハは片耳を塞いだ。エアーは今だ声変わりもしていないから、中途半端に声が高い。上に案外声がでかいのだ。
 しかし騒がしい二人の様子など全く気にしてないイリスベの酒場は、二人の声よりさらに大きな笑い声や叫び声に包まれていた。イリスベは明るく騒がしい街だった。
 クレハはエアーの肩を軽く叩くと、先ほどまでエアーが座っていたカウンターの席の、隣に座った。酒場の夫人にエアーが飲んでいたものと同じヒッジュを頼んで、横眼でエアーを見やった。
「ほら、も少し座れよ。俺がこれ飲んだらいいとこ連れてってやるから」
「だから、どこなんだよ、そのいいとこって」
 ぴょん、と跳ぶようにして椅子に座り直してエアー。クレハは悪戯に笑うと、グラスを持った手でエアーを指さす。
「エアーが絶対見たときないだろなってやつ。見せてやるから」
「今さらじゃん」
「おう、エアーが見たときない物なんて、ホント今更だよな」
 けらけらと笑ってクレハはヒッジュを飲んだ。エアーは顔をしかめると、自分の分のヒッジュを飲み干した。
「どこに行くんだい、クレハ?」
 酒場の夫人がカウンターの中、グラスを洗いながら声をかける。クレハはニッと笑った。
「やっぱりここに来たらあの山登るしかないだろ」
「イリス山かい? そうだろうとは思ってたけど、やめときな」
「なんで? ここ来たらあそこ行くだろ?」
「千日祈願してるやつがいるからね。もう二年籠ってる」
「千日祈願? それじゃ害はないだろ」
「んー……ガイドもいなくなったしねぇ。まぁクレハなら平気だとは思うんだけど……」
 酒場の夫人が困ったように笑って、ちらりとエアーを見やった。エアーはきょとんとして二人の様子を見ており、酒場の夫人が自分を見たことに訝って、クレハを見やった。クレハも首をかしげている。
「あの二人、辞めたのか?」
「一人が落盤事故で死んだのさ。だから、辞めときな」
「何言ってんだ」
 クレハが苦笑した。
「あそこ登る時はその危険も承知の上、ってやつだろ? そもそもそんな頻繁に起こるわけじゃないんだからさ。こいつもそこそこ動ける奴だから、気にするなって」
 もう一度、酒場の夫人がエアーを見た。苦笑する。
「そう、そこまで言うなら止めないよ。気をつけていくんだよ?」
「? あぁ。うん」
 やはりきょとんとしたままエアーが肯くと、酒場の夫人はくすりと笑ってエアーの頭を軽くぽん、と叩いた。
「っ」
 ――また、子供扱いされたっ。
 エアーが顔を真っ赤に怒りだそうというタイミングで、クレハが席を立った。明るい笑顔でポケットから代金をカウンターに置く。
「じゃ、行ってくるよ。クサッベに会ったらよろしく。クレハがお願いがあってきたんだけど、いないなぁって」
「はいはい、クレハも気をつけてね」
 クレハが片手をあげて踵を返した。エアーも慌ててそれに続く。
 二人の後姿を見送って、酒場の夫人は小さく、短い息を吐いた。
「赤紫色の眼を持つ者は……ねぇ」
  
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