24.白き横笛の演奏者は

   ブランク・ウィザンという人物が、本当はどういう人物なのかは、カランは道中で知った。というのも、王宮から脱出した折、ブランクが手引きしてそのまま王国軍に合流するのについていくのだといった。ついでなのでブランクの操る馬に乗せてもらっている。カランはなぜか他人が操る馬の後ろに乗ることだけは上手かった。
「そうか、お前はクォンカの弟子でもあるわけか」
 面白そうにブランクが言っても、カランは面白くはなかった。弟子のつもりは全くない。自分の隊長に無理やり連れていかれているのだから、特別講師がいいところだ。
「俺は、誰になんて言われようが弓士ですけどね。諜報員でもありません」
「ふへっ、かわいくないお子さんだ」
「子供扱いしないでくださいよ」
 カランが嘆息した、そのころ。
 メアディン近郊にテントを張るウィアズ王国軍第一大隊の高等兵士たちは、一つのテントに集まって会議――もとい、雑談の集まりが行われていた。
 理由は暇だから。
 議長である三番隊長が議題がないと正直に言ったのが発端である。
「まったく、暇すぎるというのも問題ありだな。大々的に訓練なんてものは刺激するだけだしな」
「そうよねぇ、つまんない」
「メアディン遠征を、なぜ我々第一大隊が。クォンカ、貴様のせいだぞ」
「まぁまぁエリーザ。こういうのは下級兵士の遠足だと思えばいいじゃないんすかね?」
「貴様ピークッ! 遠足とはどういう了見だッ!」
「どういうもこういうも、実際の場所を自分の目で見るっつーのは」
「貴様のわざと小難しく教えようとするところが気に入らん!」
「うわー、いらついてるのね、エリーザ。その調子で全員切っちゃってもいいんじゃない?」
「おいおいホン、俺はこれ以上切られるのはごめんだぞ」
「あら、もっと切ってもらっちゃったらいいのに。そろそろあの子、帰ってくるの遅いなぁって思わない?」
 ホンティアが笑顔で凄んだ。一瞬にしてテントの中の空気が凍りつく。エリーザすら口を閉ざしホンティアを見た。
 ホンティアは全員の顔色を見て、いつものようにコロコロと笑ってみせる。
「ねぇ? リセさん?」
 見られたリセが、はあ、と大きく嘆息した。第一大隊総司令。一番の上座に座る。
「確かに期限は今日までか。ホンティア、本当にいいのか?」
「かまわないわ。どうせ生きてるなら、どんな手段とったって帰ってくるでしょう」
「確かに」
 同調して笑ったのはカタン・ガータージ。
「そろそろ準備にかからせましょう、リセさん。夜にまぎれて撤退ですね」
「そうしよう。まったく、こんな日に議長をピークにするべきじゃないな」
 指名された三番隊長ピーク・レーグンがへらへらと笑った。
「それに乗る、クォンカもクォンカだ。エリーザ、この決定もあなたには不服かもしれないけれど、納得してもらおう」
 六番隊長天馬騎士エリーザが無言で頷くと、リセは満足そうににこりと笑った。
「失礼いたします!」
 テントの入口がバサリと唐突に開き、転がりこむように地面にひざまづいたのは、騎士。
「マウェート王都の方向より奇妙な――」
「よし! 俺が行く!」
 騎士に全てを言わさず、即座に立ちあがったのはクォンカ。嬉々として外へい出る。
 続いて、ホンティア。ニッコリとカタンに笑いかけた。
「カタン、あなたもいらっしゃい? もしよかったら追いかけてもらうから」
「は、はい」
 カタンは急いで立ちあがり、二人に続く。報告にやってきた騎士は唖然と見送るのみだ。
 リセは三人を見送ってから軽く背中を伸ばした。伸ばしたのちに唖然としたままの騎士を軽く指さした。
「ご苦労様。帰る準備だ」
「はい?」
「帰る準備だ」
 リセが念を押してようやく、騎士はしぶしぶ、三人よりだいぶ遅れてテントを出ていった。
 出て行った騎士を見送って、リセはテントの外を見やって短く、息を吐き出して笑う。
「まったく、どこまで子どもなんだ、あいつは」
 リセが三番隊長ピーク・レーグンに肩をすくめて見せると、ピークは至極おかしそうにげらげらと笑った。テントの外からは、賑やかな声が聞こえてきていた。


 カラン自身は「どうやって戻ろうか」と思案していたのに、ブランクは何も考えた様子もなく、真昼間に馬に乗ったままウィアズ王国軍のテントの群れの中に入り込んだ。
 多くの兵士たちが警戒、もしくは日常であるかのような反応。王国軍内も暇さに緩んでいたようだ。
 カランは速度を上げたブランクの操る馬の背中で、短く嘆息する。実を言えばカランもホンティアの隊で、班長の一人を務める。この様子は傍目によろしくないなと、実感した。
「高等兵士たちのテントはどこだ?」
「大抵ど真ん中です」
「このまま突撃してやろう」
「………」
 降りるタイミングを失った、カランは再び短く嘆息する。
「お?」
 ブランクが笑みを浮かべた。カランは声にブランクを見やって眉を上げた。
「あれはなんだ?」
 言われてカランが進行方向を見やれば、大きなテントの前、待ち構えるように仁王立ちする人物がいる。――クォンカ・リーエだ。少し後ろにはホンティア。カタンも居心地が悪そうにしながらも様子を覗いている。
 ――帰ってきたんだな、とカランは思う。馬の走る音もう一つを聞きとめて、顔をあげて背後を見れば、見なれた顔がある。
「おいっ、カランじゃねーか!」
 帰ってきた。カランは自然と笑みが浮かぶのを自覚した。これほどまで、帰って来たいと思っていたとは思っていなかった。帰りたいとは思っていたけれど、これほどまでとは。
「こんの……カラン・ヴァンダッ!」
 もう一度、背後から馬を操る男が叫んだ。背中に弓を背負っている、弓士。
 カランはブランクを見やると、ブランクはにやりと笑い、馬の足を止めた。
 甲高い馬の鳴き声。同時、カランは馬から飛び降りた。ブランクも颯爽と馬下に降りる。
 ブランクが馬下に降りると同時、クォンカがブランクに踏み込んだ。剣を抜いてはいない。拳に力を込めて上段に突き出した。ブランクは奇妙な音で鼻を鳴らすと、クォンカの拳をさっと避けてみせる。そのまま反撃に左腕を振りかぶり――同時、お互いの襟首をつかんで、にやりと笑った。
「十一年もどこに行ってた」
 問う声は低いけれど、顔は嬉々として笑っている、クォンカ・リーエ。
「そんなことより、お前の奥さんの部下を助けてやったことを礼してもらいたいもんだなぁ」
「結婚なんかしてないぞ?」
 同時に襟首を離して、笑った。
「変わんねぇ奴」
「お前に言われたくないな。性根の曲がりぐあいは十一年前と同じか」
 それは、最後の時だった。
「お前のド真面目っぷりもな!」
「お前っ、どこ行ってたんだよ! 死んだのかと思ったじゃんか!」
 カランの世話係インザ・ヒュルヴィ。馬から飛び降りると、カランの肩をつかんだ。がくんと顔が揺れて、カランは頭を押さえながら微笑した。
「ただいま」
 片手をあげて言えば、インザの顔が思い切り歪んだ。両手にこもった力が「『ただいま』じゃねぇ」と、口よりも告げている。
「こんの……」
「たぶん死んでたから。悪い」
「……今、殺してやろうか?」
 さらに籠った力にカランは思わず笑った。ウィアズに戻ってきたんだと実感しながら、不意に見やった先に、風花が。
 ――それは、最後の時だ。
 同じく、同じ場所で時を過ごした友の。
 だがカランが見やった場所に、面影はない。
 ただ数日間過ごしたマウェートの王宮が、遠くから見下すように聳えているだけだ。


 カランが報告をした数日後、クォンカの隊から一人、姿を消した人物がいる。だが、カランがその人物が誰かなどとは、知る由はなかった。
 諜報員は処分したのだとカランがホンティアから聞かされたのはウィアズ王城に帰還した後。御苦労さまと言われた。
 これより後、六三年に下級兵士に昇格した剣士たちの数が徐々に減っていくのだけれど、これもカラン・ヴァンダに知る由はない。
 ただホンティアを迎えに行った訓練場で見かけたクォンカの表情が、少しだけ暗かったことをある日不意に気がついただけだ。
 ――おそらく。
 純粋な青に包まれながら、白き横笛の演奏者は詠っているのだ――言葉ない声で。
 叫んでいる――誰にも見せない、奥底の胸中で。
  
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