16.地獄の先の光

  「クォンカさん」
 メアディン近郊に張られたテントの中に無造作にオリエック・ネオンは入り、中の椅子に座る男に声をかけた。
 椅子に座って暇をつぶしていた男――クォンカは顔をあげてオリエックを見た。
「おう、どうした。お前はメアディンに居たはずだろう」
「さっき帰ってきました。メアディンの中でやることもなくなったみたいなので」
「よし、報告は後で聞く。それよりも言いたいことがありそうだな」
「はい。ここのテントの外、うちの剣士が何人か集まってますけど」
「誰だ?」
「……あ、聞こえますよ?」
 白々しく笑って、オリエックが外を指さした。ちょうどオリエックが答える寸前ぐらいから、喧嘩のような声が聞こえてきている。
 一人は女、一人は男。騒ぎは治まらずに広がっているところだった。
 クォンカは嘆息すると腰を上げた。いつもならオリエックがすぐに止めに入るのだろうけれど、なぜかオリエックはそうしない。つまりは、クォンカでなければならないのだ。
 クォンカが無言でテントの外に出ると、若い顔の多くが集まっていて、中心でテルグットとイオナの二人がそれぞれ他の剣士に抑えられながら口喧嘩をしている。イオナの目には涙が浮かんでいて、テルグットも顔が歪んでいる。
「裏切り者!」
 テルグットが叫ぶ。
「頑固者っ!」
 イオナの叫び。
 クォンカは無造作に中心に向かって歩いた。クォンカに気がついた面々が徐々に口を閉ざす。
「あいつが帰ってきた時誰もいなかったらどうすんだよ!」
「先に裏切ったのあっちだもん! テルグットは無理やり理由作ってるだけでしょ!」
「あいつは裏切ってなんかいねーよ!」
「でも外行ったらもう帰ってこない! 私も外行く!」
「っざけんな! 帰ってくるに決まってんだろーが!」
「だって……だって! テルグットだって聞いたんでしょ! エアーは仲間を殺したから処分されたって……!」
 ぼろ、とイオナの目から涙がこぼれ落ちた。テルグットが一度、言葉を飲み込んで、だが反論する。
「あいつは、殺してなんかねーよ……!」
 イオナが泣き出したことでテルグットの勢いが削がれた。
「あいつ自身が言ってたんだぜ。あいつが、自分が弱いだなんて弱音……弱いから、殺したことになるんだって、あいつが! 言ってたんだぞ!」
 クォンカは騒ぎの中心に近づき、立ち止まった。クォンカの登場に一同が静まり返り、ふとしてイオナもテルグットもクォンカに気がついてとっさに顔を伏せた。
「いいから続けろ。俺に聞かせたいことがあるから、ここにいるんだろう」
「……はい」
 ぐす、とイオナが鼻をすすった。
「私、」
「イオナッ!」
「私! 無事に帰還できたら、軍、抜けますっ!」
 しんと、辺りが静まり返った。空は白く、空気も冷たい。イオナが叫ぶと、まるで解けたようにイオナを押さえていた剣士たちの手が離れた。イオナはそのまま座り込んで地面に手をついて顔を伏せる。クォンカに向かって、懺悔でもするかのようだった。
「抜けさせてください……隊長にも本当良くしていただいて、こんなことを言うのは、本当に申し訳、ないんですけど」
 イオナは地面についた両手を握った。見守るテルグットの体からも力が抜けて、呆然とイオナを見下ろしている。
 ぽたり、ぽたりと、イオナの両目から涙が零れ落ちる。
 この土地は寒い。祖国ウィアズに比べて、はるかに。
「私、テルグットと、エアーと、一緒に王国軍に所属する剣士の一人として生きられたこと、隊長の下で働けたこと、戦えたこと、本当に――本当に、誇りに思います」
 でも、と嗚咽を漏らしながら。間イオナと同じように地面に膝をつく剣士がいる。クォンカはじっとイオナを見下ろしていた。何も言わず、怒りもせず。
「怖い……」
 漏らすようなイオナの囁き。テルグットが息を呑んだ。――否、テルグットだけではない、テルグットを押さえていた剣士たちの中にも同じように息を呑んだ剣士がいる。
「戦場で死ぬのは仕方ないと割り切れても。いつ、誰が、仲間を殺してしまうのかわからない。いつ、誰が、自分を殺すのか分からない。いつだって命の危険に脅えながら生きなきゃいけないような場所で、私、これ以上生きていけない」
「だから……エアーは殺してねーって言ってるだろーが!」
「だとしたって! テルグットだって本当は知ってるくせに!」
「うるせぇ!」
 再び吠えたテルグットを制したのは、クォンカの一瞥だった。
 テルグットはクォンカの一瞥に怯むと口を閉じた。
 クォンカはイオナを見下ろすと、にこりと小さく笑って見せた。
「わかった。だったら無事に帰らなきゃならんな」
「隊長……っ」
 イオナが祈るような顔でクォンカを見上げる。
「気にするな、と言われれば寂しいかもしれないが、気にするな。俺が少し、お前の分まで働けばいいことだ。お前は気にせずに、自由に生きろ。心まで」
 一度は止まりかけたイオナの両目から再び、涙こぼれ出す。ありがとうございますと、申し訳ありませんとを繰り返しながら、再びイオナは地面にすがりついた。そのイオナの姿を沈痛な面持ちで見守るほとんどが、若い剣士だった。
 ――そう、去年下級兵士に昇格したばかり。
 ウィアズ王国歴六十三年に下級兵士に昇格した、若い剣士たちだ。
 どうやらようやく、クォンカ配下の剣士たちにも知られてしまったらしい。
 エアー・レクイズが“仲間”を殺した疑いを受けて更迭された。しかしこの隊に流布されたのはどうやら少し脚色された内容らしい。
 情報の漏れを防いだのは、すべてが終わってからと故意にだった。
 情報が漏れたのも、何者かの故意によるものだろう。脚色したのも。
 ――これからか、とクォンカは胸中で思う。
「クォンカさん」
 オリエックに背後から声をかけられて、クォンカはオリエックを少し見た。少し見て、小さく肯く。
 クォンカはもう一度剣士たちを見やり、やはり小さく肯く。
「ウィアズ王国は自由と誠実を心に刻む国だ。脱隊はイオナの自由だ。本心を告白したのは、イオナの誠実さゆえだな。――だから、誰も非難するな。このことに関しては誰も悪くはない」
 告げ、クォンカは剣士たちを見渡す。
 誰も返事をすることはなかった。
 だが返事の代わりに、座りこんだ剣士たちの手が微かに上がり、肯定の意を、「自分も」の意を、小さく告げる声が聞こえた。
(本当は、どんな顔をしたいんだか)
 オリエックはクォンカの背中を見つめながら思う。
 若い剣士たちが自主的に辞める。辞めるか辞めないかの選択権を提示する。――それがクォンカとノヴァの二人の剣士隊長が用意したものだ。そして答えを待った。
 この答えは、二人が求めたものだったのだろうか。
(……っていうか、クォンカさんは自分ができなかった選択をさせたかった、ってだけかな)
「クォンカさん、会議の時間です」
「おう」
 クォンカはいつもの通りに返事をして踵を返す。
「帰ったら、改めて言いに来い。きちんと諸々の手続きをしてやらにゃならんからな」
 剣士たちに努めて平生に告げて、クォンカ。
 少し離れた場所で知らずため息をついて、遠い地面を見た。
 息が白いなと、クォンカは思う。無感動に。
「オリエック」
「はい」
「今日は何日目だ」
「十一番目の月の二十七日目です」
「ということは、あと七日ぐらい、か」
「はい。まだ時間があります。確認があったらして来ますよ? メアディンまで」
「おう。まぁ、その確認はこれが終わった後で、だな」
 クォンカとオリエックは肩を並べてテントの並びの中へと消えた。
 その場にはただ、すすり泣きの声と立ちつく若い剣士たち。
 テルグットは顔を歪めると鋭く踵を返した。


 エリク・フェイはすべてのことの成り行きを見終わったのち、場に残った剣士たちを見渡した。
 ――まるで、地獄みたいだ。
 この地獄を、エアー・レクイズは再び知らずにいるのだ。なんて幸せな奴だろうと思うと同時、羨ましさと、何故か同情が湧いて出た。
(帰って、くるかな)
 あまり関わったことのない剣士だ。あまりと言うより、ほとんど。ほとんどというより全くに近いかもしれない。エリクはエアーのことを知っていても、エアーはエリクのことを知らない確率だってある。何せ隊内ではエアーは有名人だった。エリクが知っているのは当たり前だ。
(帰ってこいよ、俺、待ってるから)
 嘆息と同時にエリクは空を見上げた。
 白い空。雲が一面に広がっている。
 はら、はら、はら、と。
 どこからか風花が飛んでくる。空からではない。近くに雪が積っていたのだろうか。
(お前がいたらたぶん、忘れられるんじゃないかと思うんだよ。俺が見たもの、これから見るものも……だから、)
 彼がいれば悪いことなど起こらないとでも言い聞かせるように。
 エリクは目を閉じ、自分も場所を後にするために足を振りだした。
(お前のこと忘れずに、待ってるから)
 地面を踏む音が足元で聞こえた。
 エリクはゆっくりと歩を進め、自分が“地獄”と評した剣士たちの嘆きの中を抜けた。
 抜けた先に、光があると信じて。
  
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