14.ウィアズから来た変人

  “クリス・アステリー”は新兵の中で実力が抜きんでている。――とは、カランがホンティアとクォンカに指定された事柄である。
 無茶言うな、とカランは胸中で文句をつけたが、口には出せずにここまで来てしまった。来てしまったからにはおそらく、せめて有能でなければ彼らの脚本通りではないのだろう。演じる自分にはどうやら、台本の本当の意味まではわからなかったらしかったから。
 翌早朝、新兵だけが集められて朝の訓練なる実力テストが行われた。どうやらどの隊でも行われる毎年恒例のものらしく、新兵だけでなく他の兵士たちも別の時間帯にこれを受けるらしい。
 カラン愛用の弓には、真白な布が巻きつけられている。弦の張りも矢の作り方もウィアズ王国で暮らしていた時と一緒なのだけは、唯一の救いだとカランは思う。
 弓を片手にカランは自分の順番を待っていた。斜め前の列でニックが的に向かって矢を放つ。様子を、カランは頼りないなと思いながら見た。
 そもそも。
 新兵だからとここまで的が近いのは問題だと思う。にも拘らず命中させる人間の少なさ。マウェートでは見習という身分がないせいかもしれない。
 ここにいるのは、ウィアズで言えば、見習兵士のようなものなのだろう。
「クリス・アステリー……」
 試験官がぼそりとカランを呼んだ。カランは返事をして、試験官に指定された場所に立った。
 立った、はいいが、本当に的が近い。
「当たらなくても怒りはしない。今自分がやれる実力を出せ。配属が決まる」
「本当にいいんですね?」
「かまわない。五回まで許す」
「はい。じゃあ」
 つまらないな、とカランは思っていた。いつもより視界は狭いとはいえ、ここまで馬鹿にされたら、やるしかない。ホンティアとクォンカの脚本通りに踊ってみるのもいいかもしれない。
 カランは一本、手に取ると大人しく目の前の的に向かって矢を放つ。瞬時に番えられて放たれた矢が見事真ん中に命中すると、背後から喝采の声が聞こえた。
「よし」
 止めようとした試験官を、カランは無視した。
 もう一本、すぐに矢筒から取り出すと隣の列の的に。さらにもう一本をさらにもう一つ隣の列の的に、四本目はさらに隣の列の的に。
 それぞれ命中させて踵を返した。
 試験場が自然と静まり返り、カランに注目した。
 カランは的からだいぶ離れた場所に立つと、今度はゆっくりと弓を引き、矢を放った。
 五本目は、ひときわ深く、的に突き刺さる。
 五本すべてほぼ中央を射抜いているのである。
 五本全てを射終わると、カランはその場でぺこりとお辞儀をした。
「以上です」
「……おぉ」
 感嘆なのか、ただたんの相槌なのか、試験官が短く返した。カランはそのまま終了した人々の群れに消えた。
(まだまだだよな)
 人々の中に消えようとするカランは頭を抱えていた。最後はあまり離れた気がしない。ウィアズの訓練場と同じ距離をとっただけだし、ホンティアたちに比べて、四本、連続で射抜くのも遅かった。
(もっと訓練しよう)
 はぁ、と嘆息をついた瞬間。両肩を思い切り掴まれた。
「すっげえじゃん! クリス!」
「は?」
 何がすごかったのか、と顔を上げれば、目を輝かせたニックが目の前にいる。カランの両肩を掴んで、まるで子犬のような表情をしているのだ。
「……ニック?」
「うおーっ! どう練習すればそんなんなれんのっ?」
 他所から声が。
「ちょっと格好良かったじゃん! 女々しいとか思って悪かった!」
「あれが本気じゃないんでしょ? すごいすごい、名前教えてーっ」
 あっという間に人に取り囲まれていた。
 カランは人ごみの中心で、素で困惑していた。ニックには肩を掴まれていて容易に動けないし、試験官はとりあえず自分のノルマを終わらせるのに集中している。終わった人間は野放しだ。
 さらにはカランの後に試験を受けた弓士たちも集まってくる。中には嫌な顔をしている人間もいたけれど、大抵が純粋な表情で。
 見世物じゃない、と言いたいのを堪えた。わざわざ顰蹙をかうのも面倒だったから。
「で、クリス。本当どうやってたんだ?」
「“両親”に好き放題遊ばれながら育てられただけだよ。何も仕込んでない」
「そんなこと疑ってないって。お前の両親どんだけ遊んだんだよ。っていうか、遊びであんなできるんだな」
 カランはニックの手を払うと小さく嘆息した。
 ちなみにカランの言った言葉、すべてが嘘ではない。実際遊んでいるような表情で、ホンティアもクォンカも訓練していた。
 今思い出せば地獄の一週間だったなと、カランは思う。筋肉痛なんてもの存在すら忘れていたし、これ以上肉刺なんてできないだろうと思っていた。
(やっぱり、まだまだ、なんだよな)
 現実を見せ付けられた気がして、思い出した事柄に嘆息する。カランが目指している場所への道のりは、果てしなく遠い。
「どうかしたか?」
「は?」
「ため息なんかついてさ。……俺らあんまりはしゃぎ過ぎたか?」
「あー……別に。俺も派手にやり過ぎたから」
 気にするなとの意味をこめて言えば、ニックが破顔した。
「そか。あ、じゃあなんだ? もしかして満足いってないのか?」
「かもな」
 失笑を浮かべて、カラン。ニックがけらけらと笑った。
 ようやく試験官が集合と解散を告げた。再び集まるのは昼過ぎだという。
 ちなみにカランが本格的に後悔するのはこれからだ。


◆□


“クリス・アステリー”!
 彼がクリスの名を知ったのは、ただの偶然だった。新兵たちの中で誰が伸びそうだとか有力だとか、そういう類の話はこの時期、兵士たちの中では珍しくなかった。誰もがウィアズ王国の高等兵士を殺せるだけの才能を探していた。
「そいじゃ、俺はそいつにお邪魔してこよう!」
 ブランク・ウィザン。
 形容はウィアズ王国では珍しくない。マウェートでは比較的少ない部類になる黒髪に、黒い瞳、中背――より少し高い程度か。鍛えられた体躯はほどよく日焼けて、健康そうな印象を他に与える。
 ウィザン――それは、ウィアズ王国の領土に元々住んでいた民族、ウイズ族の族長の家に与えられた家名だった。
 ウィアズからやってきた変人。
 ブランクに対する他の評価は、実を言えばブランクにとって満足な結果だった。


 クリス・アステリーを含む弓士の新兵たちが集う屋外の訓練場にブランクは顔を見せた。ブランクが所属する隊での実力テストは午後になる。昼の集合を前に集まった新兵たちは、ある一か所に集中していた。
 集中している中央で、地面に腰を下ろして周囲を見上げている男が一人。鈍い金髪を低い位置で括っていて、周りに比べて比較的厚着をしている。うまく隠そうとしているが、表情はうんざりと言ったところ。
 ブランクは窓を開けて彼の姿を見た。気になったから。
「クリスの矢って、みんなのとは形がちょっと違うけど、どうして?」
 女が座り込んだ男の横に陣取って彼の矢筒から無造作に矢を取り出す。クリスと呼ばれた男は小さく嘆息した。
「もしかして、作り方知らないのか……?」
 隣の女は悪気もなく「うん」と答えた。
「知った方がいいなら教えて?」
「……時間と材料ある時に」
「私いつでもいいからね。なるべく早く」
 媚びるような女の視線を受けて、クリスは顔を背けた。背けた先に同じぐらいの年齢の男がもう一人。苦笑を浮かべて肩を竦めた。
(あいつが、クリス・アステリー)
 鈍い金髪、長い髪。水色の瞳。彼女も体格は華奢ではなかったから、着痩せした後ろ姿だけなら見間違う。
(“クリス・アステリー”?)
 ふへ、とおかしな音でブランクは失笑した。
(んなわけあるか。あいつは死んだ、俺の目の前で)
 開けた窓から身を乗り出す。音が聞こえてくる。聞こえてくる音を選別する。クリスの周りだけに限定するように。
「ねえ、ねえったら」
 横に陣取った女の容姿は確かに良い。おそらく自覚があるのだろう。間違って兵士になったのか、出世しそうな兵士を捕まえるために兵士になったのか。クリスの腕を掴んで揺らす。
「俺って……」
 ぼそりと何事が呟いた。横に立っていた男が眉を上げた。
「そろそろ整列の場所までいくか?」
「そうする。どいてくれ」
 腕を少しだけ揺らして女に離れるように示唆する。女は不承不承手を放すと、クリスがゆっくりと立ち上がった。
 立ちあがった姿を見て、ブランクは気になった理由を理解するのだ。
(そうか。あいつには“ウィアズ王国の匂い”がする)
 直感に近い。
(ということは、新兵じゃないな。あっちは制限年齢なんかないからな)
 マウェートでは十六歳になるまでは兵士になれない。クリス・アステリーは聞き及んだ年齢では一七。見目も物腰も確かに若い。おそらく偽ってはいない。
 だが新兵ではない
 それも、諜報員として訓練してきた人間ではない。演技という姿も見えないし、戸惑い交じりに友人に接する姿は、身を隠すために友人を得たわけではなさそうだ。
 胸中でブランクは大笑いだ。
 無理やり送られてきただろう、この才能を。送られてきた敵国で平生としていられるこの青年を。久しぶりに嗅いだ、祖国ウィアズ王国の匂いを。
 心から、愛おしいと、不意に思った。


「私も一緒にいくっ」
 立ちあがったカランの腕に、横に陣取っていた女が再び捕まる。周りから色々な声が上がっているなぁと、カランは無感動に考えた。
(何でこんな目に遭ってんだろ……)
 ここまで台本の計算通りだったなら、心からウィアズにいる二人の高等兵士を恨むことにする。
(っていうか、本当女付き悪いのかな……)
 ホンティアに始まり、この女、とカラン。ただしホンティアは尊敬はしているので、あまり深くは言えない。兵士になってから、女性弓士たちに思い切り遊ばれた記憶もある。――とはいえ、あの時はホンティアの誕生日のお祝いだとかで自分一人ではなかったけれど。
 カランがマウェートについてから何度目になるか知れないため息をついた瞬間、強烈な視線を感じて弾かれるように視線の元を見た。
 気が付くと辺りは酷い騒ぎだ。
 視線の元には、走ってくる日焼けた剣士がいて――
「お前がクリス・アステリーか!」
 大声で名指しされた。名指しされる前に自分に向かってきていることは分かっていたから、身構えるのに躊躇はいらない。
 躊躇はいらなかったけれど、剣士の接近はあまりに速かった。
 人ごみをかき分けたと思った瞬間、女に腕を掴まれてうまく身動きができないカランに、思い切り――
「めっちゃくちゃ、俺の好みじゃん!」
 抱きついて勢いのままに、
「は? ちょ、と」
 戸惑うカランを意ともせず、
「何、」
 ごろりと地面に諸共に転がり、カランの上に馬乗りになってカランの顔を持ちあげると、抵抗するカランを物ともせず、その唇に思い切り口付けた。





 流れた沈黙は長かった。
 見ていた人々も唖然として言葉を出さないし、カランの腕を掴んでいた女も両手を口にあてて、なぜか顔を赤くしている。
 蒼白になっているのはニックで、カランは無言のまま、自分に口付けた男を見つめていた。目の色が確かに変わっている。


「……何、」
 低い声で、カランが。カランに馬乗りになった剣士が目を細めた。
「してんだ!」
 怒鳴り声とともに剣士を力尽くで――それも片手で自分の上から押しどかした。剣士は横向きにごろりと転がって「おっと」と平生と立ち上がる。カランもすぐに立ち上がり、弓を持った。――弓が無事だったことを喜ぶ気持ちもあった。背負っていた弓が折れていたらおそらく、カランは相手を殺す勢いで怒っている。
 とはいえ、今回も無事ではないぐらいに怒ってはいるのだけれど。
「全員伏せてろ、こいつに後悔させる」
「ちょちょちょっと待て! 待てってクリス!」
「断る」
「断るじゃない! 断るじゃない! 俺がこいつに謝らせるから、頼むから正気に戻ってくれ!」
「嫌だ」
「だから嫌だじゃないって! 皆手伝ってくれ、こいつキレてるっ!」
 ニックに後ろから押さえられてもなお、カランの怒りは消えていない。慌てて周りが同じくカランを鎮めようと集まって、ようやくカランの動きが止まった。間、カランにキスをした剣士は笑って見ていただけだ。
「ライバル多いなあ……でもお前のこと、絶対手に入れてやるから」
「二度と近づくな! 近づいたら射る!」
「死んでもあなたのもとへ参りますわ、愛しのクリス様」
 剣士はウィンクして投げキスをカランに放り投げた。カランの頭に血が登ったのを、周りの人間全てが分かるほどだった。
「たのむーっ、冷静になってくれークリスーっ!」
 悲鳴交じりのニックの声。剣士はにっこりと笑う。
「ブランク・ウィザン。覚えといて、ク・リ・ス」
 もう一度投げキッスをカランに投げて、ブランクはひらりと踵を返した。怒鳴り声の同僚の元へ飄々と。
 離れるブランクの姿を見送ってから、カランはようやく呼吸と気を整えた。力を抜いたカランの様子に、安心して周りもようやくカランから離れていく。
(あんな奴がいるなら目立つ真似しなきゃよかった!)
 自分の唇をごしごしと強く拭いて、カランは眉間に皺を寄せた。無言のまま歩くカランにニックが追い付いて「機嫌直せ」と苦笑を浮かべながら訴える。カランはニックを見やると、肩からも力を抜いた。
 ニックに、罪はないのだ。
「ニックが気にするなよ」
「お前、本当いい奴だよな」
 少しだけ涙目のニック。カランは失笑して「誰がいい奴だよ」と答えて集合の列に混じった。
 いい奴はそもそも、周りを巻き込んでキレたりしない……と、思う。
  
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