122.道化師のシナリオ、終幕

   パチン、という指を鳴らす音とともにピークの目の前に巨大な光球ができた。光の玉だと認識できるにも関わらず、光は漏れない。ピークは光球に意識を集中した。
 ピークに退治する形で少年が地面に降り立った。身の回りは漆黒で塗られ、巨大な翼が空を覆わんばかり。
「「腹が立つほど貴様、我々のことを学んでいるな。何者だ?」」
 少年の声と別なさらに低い声が重なって反響する。ピークは光球に魔力をさらに込めながら、少し嘲るように笑った。
「ボートヴィートに訊きゃあいいじゃないっすか。覚えてるはずっすよ? 一八年前、自分を消滅させかけた人間ぐらい」
 まぁいいです、とさらにさらに魔力を集めながらピークは笑う。狂気の笑みに似ていた。額には汗も滲んでいる。
「名前ならピーク・レーグン。二つ名なら、召喚獣の間じゃ雷神で通ってます」
 すっと片手を光球に差し出して、大きく息を吸い込んだ。
「貫け! ライディッシュ!」
 背後に控えていたライディッシュが光球に入り込んだ。まさに電光石火。ライディッシュが光球を纏うとそのまま少年にぶつかり――少年は顔半分を残して体が消え失せた。
『雷神だと?』
 ――声が。
 半分だけ残っていた顔がみるみるに回復していく。漆黒が集まって顔を形成すると、表情は不快を表して眉間に皺が寄っている。
「「身のうちの魔力をこれだけの光に変換できる者を、召喚獣どもはなぜ雷神と呼ぶのか」」
「……さあ?」
 へらっと笑ったピークがよろめいて、そのまま崩れ落ちた。額に浮かんでいた汗はいつの間にか滴になって地面に落ちて、体を支える力を失った足は立つことを拒んだ。ぎりぎり両手をついて寝そべりはしなかったけれど、魔力の大半を使ってまともに動けそうにない。
 地面にすがりつくような恰好になったピークを、肩まで再生が終わった少年が見下ろした。ふん、と鼻で笑う。嘲笑った。
「「なんだ、これだけで終いか」」
 右腕が再生すると少年は腕を振り上げた。あたりに立ちこむ黒い霧。ピークに達する直前で、ぱすん、とごく小さな音がして淡いが大きな光の壁ができた。光の壁に阻まれて黒い霧は先へと進まない。
 暗黒魔法と呼ばれる魔法が、塗りつぶせないものが一つある。
 魔法で作られた光だ。
「「無駄なことを」」
 少年の声はあくまで冷たかった。
「「ならばこうするまで」」
 黒い霧が凝縮されて鎌の形になる。
「「力で、押しつぶしてくれる」」
 鎌が少しもたげられた瞬間、微かにかちゃりと音がした。少年が腕を振り下ろす瞬間、トン、と至極軽い音で腕が飛んだ。腕が飛ぶと、鎌も消え失せた。
 巨大な鎌が消えると、ピークが微かに笑って腕から力を抜いた。その場からライディッシュがピークをさらって後方へ。
 ――なぜ、笑ったのか。倒れるほど魔力を使っていながら、なぜまだ召喚獣が消えていないのか。
 少年は目の前に現れた人物を睨んだ。すぐ前にいるのは赤紫の瞳を惜しみなく開き、剣を振り下ろしたばかりの剣士だ。
「「何をする」」
 切り離された腕は霧散したけれど、また新たに腕が構築されつつある。ボートヴィートを宿した体は、魔力さえあれば無限に構築されていく。少年の魔力にまだ余力はあったけれど、魔力を他者から吸い上げるための黒い帯――翼ををさらに拡大させることにする。吸収するための翼は弱いが遠くまで届く。近くに魔力あるものはない。だが山まで伸ばせば、と。
 だが、翼の動きが止まった。少年が訝って伸ばした先を見やれば、目視出来るぎりぎりの位置に光の壁が。痛覚がなくて気が付かなかったけれど、伸ばしていた帯が光の壁に切り取られている。帯では壁を突き抜けられない。
 光の檻となった空間の中には、生命は二つだけ。
「俺の名前は訊かないのか」
 少年の腕を斬り飛ばした人物――エアーの表情は動かない。少年を睨みつけたまま。
 光の檻の中にあるのは、少年と赤紫の眼を持つ剣士の二人だけだ。少年はエアーを見つめたまま、表情を作ることをやめた。
「教えてやる、俺の名前はエアー・レクイズだ。お前らの神じゃない」
 告げて再び剣を振るった。構築されつつあった胴体を真っ二つにする。下半分は霧散し、やはり再構築されていく。ボートヴィートを宿し既に少年に体の感覚などなくなっているが、なぜかしくりと、痛覚が思い出される。
(おのれ……おのれっ、天魔の魔道士め! 腕さえ再生すれば殺してくれるものを!)
 生き延びるために、他者の魔力を奪ってきた。
 だが今は目の前にいる存在しかすがる糧はなく、けれど糧といえるほどの魔力もなく。そもそも彼は。


 彼は。

「俺は、」


 少年を斬るために振るった剣を、エアーは留めなかった。横薙ぎに振るった剣を今度は頭上に構えて躊躇なく振り下ろす。
 少年の顔が真っ二つに割れた。――なぜ抵抗しないのか。エアーには解らなかった。
 けれど少年の表情が癇に障る。憎悪しか映さなかった少年の顔に、悲哀が見えた気がしたから。
「お前らに利用される神なんざお断りだ!」
(利用など!)
 二つになった顔が一つに戻ると少年の両目からは涙が。
「利用など……」
 たった一つの声で。
 掠れるように絞り出すと、そのまま黒塵に消えた。



(胸糞悪い)
 エアーは最後に少年の顔があった場所を睨み続けた。あったはずの場所には今は何もない。見えるものは雪原。遠くにマウェート王宮が見えるだけだ。
(胸糞が悪い)
 エアーは繰り返し思った、胸糞が悪い戦いだ、こんなものと。
 返り血一つ浴びず、剣に一滴の血もついていない。流していただろう少年の涙も、跡形ない。
 まるで幻影を相手にしていたかのようだ。けれど何度も斬り刻んだ、致命傷を、何度も何度も。感触は確かに手に残っている。
 虚像を崇めて何が悪かったのか。何かにすがって何が悪いのか。
 ただ自分が自由でありたいがため、他人の願いを何度も何度も斬り刻んだだけの、相手を否定し合っただけの戦いだった。
「エアー」
 ライディッシュに乗ったピークが傍に降り立つ。エアーの傍に来ると、ライディッシュの姿は消えた。消えて、ピークは地面に座り込んだ。いつも涼しい顔のくせに今は汗だくで、心持ち息も上がっている。
「帰りましょう」
 エアーは握りしめていた剣を持ち上げ、勢いよく鞘に納めた。シャン、と小気味よい音がする。
「あぁ」
(命を……)
 エアーは顔を上げた。上げて辺りを見渡す。ボートヴィートが広げた黒い帯に触れた木々が枯れ果て、残骸だけを残している。恐らくボートヴィートはまだ存在しているのだろう。術者がいれば何度でも蘇るのだと。
(命を、馬鹿にしやがって)
 命を馬鹿にするということは、生き死にも、生きている間も馬鹿にするということだ。
「指笛できます? あれ、苦手で」
「あぁ」
 エアーは大きく息を吸って空を見た。ウィアズ王国の青と呼ばれるほど真っ青でない、白っぽい空。まるで皮肉だなとエアーは思った。
「ニケ!」
「え? は? ちょ」
 それじゃあ意味ないじゃないっすか、と唐突の出来事に言葉にできないピークの言葉は、理解していたけれどエアーは無視した。エアーも指笛は苦手だ。苦手だから名前を呼ぶだけでも来るように馴らしたのだ。
 遠くから馬が二頭走ってくる。エアーの愛馬のニケはかなり賢い馬だった。ピークの馬も連れてきている。ついでにピークの馬の上には狼の形の召喚獣。二頭のさらに後方からは馬に乗った人物が「ちょっと待てぇ!」と叫びながら追いかけてくる。
 ピークは声を聴いて「あー」と、つぶやいて頭をかいた。「なんでついてきてるんすかねぇ」とピークが呟けばエアーが訝ってピークを見下ろした。
「もう無駄な魔力使いたくないんで。ついでに言うと今日はあんまり進みたくないんで、あれどう誤魔化すっすかねぇ」
「それを考えるのはピークだろう」
「うわっ、丸投げっすか!」
「当たり前だ」
 最後にこっちに放り投げるなとエアーは腕を組んで、やってくる三頭の馬を眺める。
「で、あれは知り合いか?」
「そっすねぇ、あんまり殺したくないっすねぇ」
 へらへらっと笑ってピークは頭をかいた。
「そうか」
 答えたエアーの注いだ目線は動かない。声にも顔にも表情が浮かばなかったからピークには心境は判らなかった。解ったことは変えないでいようと思う意思が、どこかにあるのだろうこと。
「まあ」
 軽く息を吐いて笑って、ピークはごろんと仰向けに地面に転がった。ひんやりとした雪の冷たさが背中を覆って、魔力を使って疲れすぎた自分の体の覚醒にはちょうどいい。頭の覚醒にも。
「帰りましょう。ちゃんとベリュ寄って」
「あぁ」
 ピークにつられてエアーも見上げた空はやはり青白い。
 青空の下に箒雲が広がって、どこまでも続くすっきりしない空。
  
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