12.迷宮の入口に立ちて
          マウェート王宮

   もくもくと立ち上る自分の息をもう一度カランは見上げた。
 延々と続くマウェートの上官たちの演説。そして瞑想。天魔の獣たちを国教とするマウェート王国の式典では天魔の獣たちに向けての祈りの時間がある。教本天魔史をほとんど読んだことのないカランにとっては暇な時間でしかなかった。周りに並んでいる同じ年齢層の新兵たちは誰も同じ仕草、祈りを捧げていると思って疑っていないだろう。目を閉じ祈りを捧げる姿をカランは眺めながら、微かに息を吐いた。
 寒いな、と思った。
 ウィアズ王国から遥か北。ウィアズ王国とは陸続きにも国境が面しているマウェート王国。
 メアディンに到着して次の日。別れる前、クォンカはカランに言った。
『お前は明日からクリス・アステリーだな』
 告げたクォンカの表情。聞けば昔同じ名前の諜報員がウィアズ王国に来ていたらしい。彼女は当時第一剣士隊の副官だったクォンカに処分された。
 何故同じ名前を、とも思ったけれど別段深く興味は湧かなかった。ただクォンカ・リーエという高等兵士もまた、人間なんだなと確認できただけだった。
『お前は、カタン・ガータージと対立したままでいてくれ』
 続けて告げられた言葉。カランは理解できないでいた。けれど自分の意地でもって肯定した。
 その事実がいつか必要になる日が来る。
 実感の湧かない話だな、とカランは思った。意地だけではどうしようもない現実というものが目の前にある。
 延々と続いていた黙想が終わる。
 カランは胸中で「クリス・アステリー」と繰り返した。自分は、今、カラン・ヴァンダではない。クリス・アステリーだ。いつもの独特の髪型は禁止されて、今はかなり下の位置で長髪を纏めている。前髪が邪魔になることは確かだけれど、ばれるよりもいいかと思う。何せ知っている人間ですら、一瞬ためらった。ある意味変装。
「よっ」
 後ろからトン、と肩を叩かれて、カランは振り返った。振り返った先には見た目には同じ年代の弓士の男。慣れない様子で弓を背負っている。にかっと笑った顔。
「お祈りのタイミングは忘れるなよ」
「は?」
「見てたぞ? 空見てただろ」
 至極小さな声で。カランは眉を上げた。
「あぁ、見てたのか」
「気持ちは分からないでもないからさ。長いよな、この式典」
「そうだな。いい加減飽きた」
 終盤に近付きつつあるとはいえ、ウィアズ王国の式典に慣れてきたカランでさえも飽きさせるほどの長さだ。――とはいえ、ウィアズ王国の式典に出席しているときは世話役の友人が隣にいるから遠慮なく眠っているのだけれど。
 横に並んでいた弓士がごほんと咳ばらいをする。二人で慌てて口を閉じて前を向き直した。
 延々と続く式典が終わるころには、カランの体はすっかり冷え切っていた。
 本当に寒いな、とやはり他人事のように思う。
 再びとん、と背中を叩かれて振り返る。式典の最中に声をかけてきた男が苦笑している。
「さっきは、悪かったな。あんまりで飽きててさ」
「別に」
 構わない、という意味で答えれば男はにっかりと笑う。
「俺、ニック。お前は?」
「クリス」
 迷わず返答できて、カランは胸中で安著する。最初がなんとかなれば、後もなんとかなりそうな気がする。生きて帰れる、おそらく。
「クリス・アステリー」
「アステリー?」
「あぁ」
「そっか。俺もアステリーなんだ。ニック・アステリー」
「へえ?」
「うん。それもお前の名前、叔母さんとおんなじだからさ、ちょっとビビった」
 困ったように苦笑するニックを見て、カランはぼんやりと、きっと、と思った。
 きっと、死んだのだろう。
「兵士だったのか?」
「なんで?」
「ただの勘だけど」
 カランたちがいる列が動きだした。王宮の中へと続く。
 歩きながらニックの横に並ぶ。ニックはやはり苦笑のままだ。
「すげー勘。大当たり。どこで何してたのかまでは分かんないけど。俺が兵士になったの、叔母さんに起因すると思うな」
「ふーん」
 気のない返事をしつつも、ここは敵国なんだよなと、少しだけ確認する。
 ウィアズ王国にいたときとあまり変わらない会話。同じノリ。違うことと言えば、気候とか何かにつけた基本とか。相手が人間であるということに変わりは、なかった。
(俺は、カラン・ヴァンダだ)
 胸中で確認する。確かに今はクリス・アステリーという人物を演じてはいるけれど、本質は、“カラン・ヴァンダ”。
 ふと、カランはチェオを思い出して空を見た。――同じ思いを、チェオ・プロもしたことがあるのだろうか。そもそも諜報員という存在になったとき、すべてを切り捨てたのか。
(俺が、やるべきは)
 念じる。
(命令を全うして、ウィアズに帰る)
 自然、背筋が伸びる気がした。
(そのために、今俺は、『クリス・アステリー』なんだ)
「おい、クリス?」
「何?」
「どうか、したのか?」
「何が?」
「いきなり黙りこんで空なんか見上げたからさ。お前本当空好きなんだな」
「……あぁ。たぶん」
「やめとけよ。空晴れたし、余計」
「だな。やめとく」
 周りを少しだけ見渡してカランは肩をすくめて見せた。ニックが「な?」と、答えて人差し指を立てて声を潜めた。
「けど、俺も空は晴れてる方が好きだ。問題は色じゃないよな」
 悪戯に笑うニックを見て、カランは失笑する。――こいつ、とんでもなくいい奴だ。
「だよな。問題は晴れてるってこと」
 適当に答えて、ひっそりと笑い合った。――と、二人の間を引き裂くように怒鳴り声が響く。どうやらすでに王宮の中には入ってた。寒さは変わらないのでわからなかったのだけれど。
「私は天騎士になった!」
 青年の声。怒鳴り声に周りが微かに騒ぎ出して振り返る。同じようにカランも振り返って見つけたのは、黒髪と赤い瞳の青年。向かいには一回り小さな壮年の男。身なりからして、壮年の男は身分が高い――たしか、先ほど式典で現れた人物と一致するから、マウェート国王だ。
 となれば、怒鳴っているのは長子デリク・マウェート。
「金輪際魔法の教士はつけないでいただきます! 魔道士になるつもりはない!」
「伝統を蔑ろにするつもりか! 王族は魔道士になると決まっている! それもお前は魔の日に生まれた。国民の期待を背負っているのがわからないのか!」
「魔法ならば弟たちの方がうまく使える。私は竜騎士として前線に立つ方が性に合っている!」
「お前は私の地位を継ぐ人間だろう!」
 デリク・マウェートは中性的な顔を紅潮させて王を睨んだ。王も負けじとデリクを睨み返す。
 その二人に魅入るようにカランは立ち止まり、ニックは興味深そうに並んで眺めていた。
「デリク様の噂の真実をここで見られるとは思わなかったよな……ってげぇっ! なんだかすっかり殿だしっ!」
 悲鳴じみた声をニックがあげた。カランも驚いて進行方向を見やると、ちょうど二人を抜かした最後の兵士が曲がり角を曲がりきるところだった。
 慌てて追いつこうと走るニックの後姿を眺めながら、カランは前髪をかきあげる。嘆息交じりに。
「どうせ、行くところ決まってるんだろ?」
 先ほどの場所から大きく息を吸う音が聞こえる。カランはゆっくりと足を動かしながら小さくあくびを漏らす。
「伝統がなんだというんだ!」
 デリク・マウェートの叫びが耳に突き刺さる。顔をしかめてカランが振り返ると、デリクは国王に背中を向けて廊下を進んでいた。
「デリク……王子」
 カランは呟くと、最後にニックを確認した角で曲がる。金色の髪がゆっくりと揺れて尾を引き――曲がりきった瞬間、デリクが不意に振りかえった。
 だが、誰の姿を見ることはなく。
 カランも正面からデリクの顔をみることはなかった。
  
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