117.道化のシナリオ 本編

   彼が現れたのは、朝日も昇りきらぬ翌早朝のことである。エアーが丁度目を覚まして、いざ身支度をしようとした時だった。
 宿の中がにわかに騒いでいた。ほんの少しの違和感程度。
「ここか?」
 誰かがはいと答えた。――受付の男の声だ。エアーは警戒して入口を見ながら、剣に手を伸ばした、瞬間である。
 部屋の中が真っ黒な煙に包まれた。
(なんだ?)
 握りなれない剣を握り、呼吸を整えようと息を吸った瞬間、視界が揺らいだ、崩れ落ちた。
「……なっ」
 力がうまく入らない、握った剣も手から落ちて、地面に手をついて周りを注意深く見た。――だが辺りは煙だらけ。入口を見ればドアが開いていて、ドアの前に金色の瞳を持つ一二歳程度の少年が冷たい表情で立っていた。
(くそっ、魔法か)
 渾身の力を込めて手元にあった剣を握りしめ、入口に向かって放り投げた。鞘ごと抜けもせず、ただ大きな音を立てて壁に激突すると、剣は手に届かない場所で動かなくなる。剣を見下ろして、少年が「ほう」と、声をあげた。声は見た目に反して低かった。
「まだ動くか」
 コトン、と一歩、少年が煙をものともせずに進んでくる。エアーは動けなかった。けれど伝えなければ。
 この状況を、伝えなければ。
「……ライッ!」
 気が付け、そして打開しろ。
 叫ぶために思い切り煙を吸い込んで叫んだ後、エアーは少年を睨みつけたまま、床に倒れこんだ。

「素晴らしい」

 少年が片手を振ると部屋の中の煙が一瞬にして失せた。もともとの透明な空気の中を、少年はまっすぐにエアーに向かう。
「素晴らしい金色の髪だ」
 倒れたエアーの隣にしゃがみ込んで、髪を一つまみ。こすって色が落ちないのを確認して、部屋の外に控えていた人間に顎で合図した。合図された黒いフードの人間が二人でエアーを担ぎ上げる。
 少年は入口に振り返り、俯いた宿の受付の男に嘲笑を向けた。侮蔑に染まる笑顔。
「あと三人だと、他の者に伝えろ。連れて行くぞ」
 コトン、コトン、とゆっくりとした歩調で入口に向かい、ちょうど中ほどで足を止めた。どたどたっという音とともに、人が一人部屋に飛び込んできたのだ。
「お、お待ちくださいっ!」
 走りこんできたのはピークだ。そもそもピークはすでに起きて身支度も済んでおり、すでに変装が終わった後だ。入口に立ち塞がり、肩で息を上げながら必死の形相でまくしたてる。
「お待ちください、やんごとなき方かとは存じますが、その者は私の大事な相棒です。どこへつれてゆくのですか!」
 大声でまくしたてるピークに、少年が眉をひそめた。
「うるさいぞ。俗の魔道士が」
 ――俗の。そも、魔道士とばれた。ならば。
「あなた様も、魔道士ではありませんか?」
「そうだ。我々も魔道士だ。お前ら俗の魔道士どもが、“暗黒”と呼ぶ(たぐい)のな」
 言って少年が見下して笑う。にやりと。
 そも――暗黒魔道士とは別名、裏切りの魔道士(ビトレ・マジシャン)。逆に天魔の獣たちに力を借りて魔法をつかう魔道士を天魔の魔道士と呼ぶが、彼らに忌み嫌われる存在が暗黒魔道士だ。なぜなら彼らは天魔の獣たちの力を借りずに魔法を使い、別なる神を信仰しているからだ。
 その暗黒魔道士を見つめ、ピークは竦んだ態で立ち尽くす。
「その、暗黒魔道士が、なぜマウェートに……」
「なぜ?」
 少年が顎を上げてけらっと笑った。目は笑わず、やはり侮蔑の色が濃い表情だ。
「招かれたからだ。この国の王にな」
「マウェート国王陛下にですか?」
「しつこいぞ」
 表情をゆがめて少年が告げると、ピークはびくりと肩を震わせた。
「ともかく、この男は連れて行く。各都市に下知があった通り、金色の髪の人間を一〇人差し出さなければ国王に対する裏切り。その都市すべての金色の髪の人間の命を奪うぞ」
「その男はマウェート人でありません。いかがなさるおつもりですか」
「誰でもいいのだ、金色の髪であれば。どうなるかなどお前の知ったことではない」
 ――どうするのか、ピークは必死で考えていた。
 金色の髪を持つ人間を集めている、と自ら暗黒魔道士と名乗った少年は言った。
 カラン・ヴァンダは先日侵入したおり、暗黒魔道士と接触し、やはり金色の髪を条件に歓迎されたと言った。そして同じ理由で襲われたのだと。
 正直情報に飢えている。
 そも国王が忌むべき暗黒魔道士たちを招いた理由。従っているわけ。
(ったく……ノヴァはたまにクォンカ以上の無茶をさせる)
「どうか――」
 ピークは膝をついた。懇願するように手を組み、頭を垂れる。
「どうか、見逃してください。お助けください。我々はただ商売の途中に寄っただけの、旅人でございます」
 なぜエアーが狙われたのか、予想はつく。『誰でもいい』という条件の下、隣人を差し出せない人々が、町に所縁のない訪れた旅人を差し出しているのだ。自分たちで捕まえずとも、暗黒魔道士たちが自ら捕まえに来てくれる。隣人を失わず、良心の呵責のみで済む方法を人々は摂っているだけに過ぎない。
「言ったはずだ、誰であろうと関係はいない」
「どうか、お願いいたします」
 組んだ手を地面に置いて、顔は床に向けたまま、声は絞り出すよう。
「願うだけなら誰でもできよう。マウェート人と同じだ」
 ふん、と音を出して少年が嘲笑した。
 コトン、コトン、と大き目のブーツで床を鳴らしてゆっくりと歩き去る少年の気配を、ピークはじっと感じていた。少年はエアーを抱えた二人を先に外に出すと、部屋の入口で立ち止まって振り返る。いまだ床に手を付けたままのピークを見下ろして。
「貴様も天魔の魔道士ならば、その本分を示してみせよ。争うために生まれた魔道士め」
 ピークは床についた手に、力を込めた。堪えるために。
「神書によれば、」
 堪えた。限界まで。憎しみを込めずに言葉を紡ぐのが精いっぱいだ。
「あなたがたは、あなたがたが信仰する王であり神により、争うではない解決のために存在させられたはずではありませんか?」
 お前らのせいで争うのだと、争いが本分と言われるのは心外だった。
「争えとは、道に外れたことをおっしゃいます」
 コトコトン、と早足で少年が近づいて、ピークの髪をつかんで床に押し付けた。押し付ける小さい手が微かに震えている。
「我らを悪とし、排除し、迫害しつづけた天魔の魔道士風情に神書の何がわかる! 数を持って抑圧し、我らの王の存在を消さんと欲した者どもが、何をほざく!」
 ――憎しみ。ただひたすらの憎しみ。暗黒魔道士として存在する自分に、迫害する人々に、歴史に、すべてに。
 ただ少年からは憎しみしかあふれ出ない。そのことを少年もよく理解していた。
「我らは貴様ら俗の人間どもを心から憎むぞ。憎悪を司る神たるブルテリダランカーもよく言っていたそうではないか。己が子のヒュリンザに『憎むことこそ勝利への道だ』と」
「しかし、」
 両手に力を込めて、ピークは頭をもたげた。上から押し付ける少年の力に抵抗し、ほんの微か頭を上げると少年を睨んだ。
「戦いと力を司っていたヒュリンザさえ、愛と智と運を司るディアラナックルーには敵わなかった」
「そして憎悪を忘れ戦いと勝利の神となり、神々の終焉を導いた」
 ピークの髪をつかむ手に渾身の力を籠め、少年がピークの頭を床にたたきつけた。さほど強くはなかったが、ガツンという音と、ピークの額に微かに血がにじむ。
「憎悪こそ力だ! 力なければ己に平安は訪れない! 力を行使しなければ己の意思で生きることなどできないのだ。貴様も己の欲しいものがあるのなら、行使して奪い取れ!」
 ははっ、と不気味に高笑い。少年は颯爽と踵を返した。足早に遠ざかるコトン、コトン、という少年のブーツの音。ピークは床に転がったままその音を聞いた。
(憎しみで戦いの輪廻を廻したところで、何にも終わりはこない)
 終始を見ていた宿の受付の男が申し訳なさそうに部屋の入口を閉める。ピークに一言もかけなかった。部屋の入口が閉まりきるまで、ピークは床に転がったまま。
(……知ってるからこそ、憎いな)
 部屋のドアが完璧に閉まったことを確認してから、ピークはゆっくりと起き上がる。背筋を伸ばすとパチンと指鳴らした。
「ビジカル、起きてるっすかね? ――あぁ、おはようっすよ、起こして悪いっすね。後でカランを見つけたら繋いでください、聞きたいことがあるんで。――はい、なるべく早くがいいっすけど、あいつねぼけ癖ホント酷いらしいっすからねぇ。――あ、あと、ノヴァに会ったら伝えといて欲しいんすけど」
 虚空に向かって話かけながら、口調とは裏腹にピークの表情が暗く沈む。目にはっきりと“怒り”を表現した、ある意味先ほどまでいた少年に似た表情で。
「本一冊じゃ割に合いません、二冊にしろっつって」
  
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