116.道化のシナリオ 幕間

   二番目の月に入っても、マウェートの土地はとにかく寒かった。
 ウィアズ王城からひたすら北上し、マウェートの王宮がある王都に最短時間でたどり着いたエアーとピークにとってみれば、身を切る寒さ、という表現ができるほど。
 王都の入口では偽名で身分証明をし、馬を預けて王都に入った。エアーにとっては初めてのマウェートの王都。六年前の休隊処分の時も、マウェートだけには入らなかった。天魔の獣たちを国教としているマウェートでは、エアーのような赤紫の眼は処刑の対象だ。だから王都にくるのは眼の色を変えている今回きりだろうと思っている。
 マウェートの王都はウィアズ王城城下町とは違い、厳かな雰囲気のある町だった。そこいらじゅうに商人たちが露店を開くウィアズ城下町とはうって変わり、商人たちの姿は少ない。雪化粧の街並みを歩く人々は、風景と同化するように白い衣装を纏う人々が多く、口数は少ない。
 あまり広くない通りには防寒のためにドアを閉めたガラス張りの店が連なる。家々の煙突から煙が空へと向かい、空も少し白く見える。吐く息も。
「白いな」
「ん?」
「街が、白いなと思って」
「ああ、それは国の色でもあるからな」
 マウェートの国色は白。天魔の獣たちのために何色にも染まる白。
 エアーの隣に並んで歩くライという商人の顔をしたピークがくすりと笑った。
「珍しいか?」
「あぁ」
 エアーはしっかりと両目を開いたまま、マウェートの王都を眺めた。一つも見逃すまいとするよう。
「二度と、ないだろうからな」
「また来たくなったら連れてきてやるよ」
 くすくすと笑いながらピーク。エアーはきっとそんなことにならないだろうと思っていた。今はただ物珍しいだけだ。たくさん興味深かった旅も、今となってはまたしたいとは思わない。
「……ライ」
「ん?」
 エアーはピークと呼びそうになるのを堪えた。表情は変わらなかったけれど、心持ち固い口調で。
「ここの様子は、これが普通なのか?」
「普通かって聞かれると……」
 言われてピークも辺りを見た。
 時刻は一六時。盆地にある王都だから、そろそろ暗くなり始めてもおかしくない。けれど以前来た時よりも、明らかに人通りは少ないように感じられた。何より、ここまで商人や旅人がいないとは。
 そして、視線か。
「変だな。お前の顔なんか、どこにでもあるだろうにな」
「そうか」
 視線が妙にエアーに集まるのだ。けれど視線を合わせない。ちらっとみて、さっと目を逸らす。後ろめたいことがある行動だ。
「お前、前ここで何かしたか?」
「冗談言うな」
「んーじゃあなんだろうなあ」
 軽い表情で考え込むピークの顔は見たことのない表情だなとエアーは思って、すぐ納得した。演技で返答されたのだ。理由を知っているのか知っていないのか、全く読めない。
 けれど街によくないことが起こっていることだけはなんとなく理解した。敵の王都でよくないことが起こっているのだから本来歓迎すべきなのだろうが、なんとなくそんな気にはなれなかった。自分たちにとっても悪いことが起こっている気がする。
「宿で体制を整えるか。この調子じゃ取引先もいるかどうかわからないからな」
「あぁ、わかった」
 エアーは改めて辺りを見る。
 真っ白なマウェート。――足りない色。



 宿の受付も妙だった。受付の男は二人を見ると少し目が泳ぎ、二人部屋を希望したにも関わらず、一人部屋しかないのだと説いた。仕方がないので広めの一人部屋一つと普通の部屋一つを借りて、ピークの部屋に打ち合わせに集まることにした。
「怪しすぎる」
 ピークの部屋について開口一番、不機嫌をありありと表して、エアー。持っていた湯気の立つカップを一つピークに渡し、一つは自分の手前の席に置いた。
 エアーが向かいの椅子に座ると、ピークはぱちんと指を鳴らす。
「同感っすよ、お前本当気を付けろよ」
「目を付けられてることぐらいなら自覚はしてる。だが何がある」
「さあ、それがわかれば苦労はしないんすけどねぇ」
 いつも通りの口調で、ピークはエアーが持ってきた温かいミルクに口を付けた。
「受付でも、悪いことは言わないから今日中に王都から出てけって言われてますし。つーか宿借りに来た客に、空き部屋もあるのに野宿しろとか悪意か何かあるかしかないっすしねぇ」
 受付の男は告げる時、冷や汗をかいていた。ピークにかなり顔を近づけて口早に、かなりの小声で警告した。『帰れ』と。事情を教えてくれとピークも小声で懇願したが、教えてはくれなかった。
 何かある。
「んで、エアー。お前の持ってるそれ、なんかヒジョーに嫌な予感がするんすけど」
「これか? 暖かくなるものをと言ったら、酒が出てきた」
「お前気をつけろって言ったばっかりっしょ」
「確かに強いが、酔うほどじゃない」
 しれっとして答えたエアーはまた一口、自分のカップの酒を飲んだ。熱さと辛さでなかなか飲み進まない。
「……大事な話してるんで、下げてきてもらえるとかなり助かるんすけど」
 ピークが少し退いた。エアーは訝ったけれど、「わかった」と一言すぐに立ち上がる。
「お勧めは俺と同じやつっすよー」
 ついにはそっぽを向いた。エアーが取り替えて戻ってくるとなぜか窓が開いている。上にピークは机に突っ伏せになっていた。
「……何があった?」
「いや……」
 声をかけるとすぐむくっとピークが起き上がり、さっさと窓を閉めてまた指を鳴らす。
「魔法の聖地みたいな土地のくせ、なんでそんなに強い酒が……」
「何があった?」
「ちょっと酔っただけです、気にしないでください」
 答えたピークはやけくそだ。答えられたエアーも沈黙して立ち止まったまま。――ピークは飲んですらいないはずなのだが。
 立ち止まって動かないエアーにピークが「あー」と。
「これからは俺の前で酒を飲むなら一言言ってください。匂いでも酔えるんで」
 しれっと当然顔で、少し偉そうに。エアーは聞いて肩をすくめた。
「わかった」
 とは答えたけれど、大きなため息とともに椅子に座った。ピークは「この野郎」とは思ったけれど、顔に出しただけで終わった。座ったすぐ後にミルクに口を付けたエアーが少し意外そうな表情で“美味い”を表現したので機嫌が直った。
「んで、明日のことなんすけど」
 椅子に深々と座ってピーク。ちなみに先ほど指を鳴らしたときに不可侵の魔法を使っている。中の音は漏れないし、外から勝手に侵入することはできない。
 エアーはミルクを飲みながら平生と、無表情。
「王宮に侵入するのは簡単じゃない」
「まあそれは俺の腕の見せどころっつー話で」
「お前が本当に高等兵士なのか、魔道士なのか、不安になってくるな」
「お前普通に侮辱するなっつーの」
 へらへらと笑ってピークが答えても、エアーは無表情。エアーの無表情にピークは不快を感じない。なんとなく感情もつかめるようになってきた。
「ま、俺を信じろっつー話っすよ。それもシナリオ作ったのはあのノヴァっすよ」
 ノヴァのシナリオに巻き込まれるのは、ピークは初めてだ。とはいえ、今回のシナリオはクォンカが首を傾げるほど穴だらけだったらしい。ノヴァも情報が掴めないせいで、穴を埋められなかったのだろう、と。
『だから配役がお前なんだろう』
 変に信用されたな、と思うが、応えなくてはいけないのだろう。他に誰ができると言われると、正直答えられない。
 だから、
「俺は俺も信じるし、お前も信じる」
 ピークがニヤっと笑った。
 エアーはピークを見て、わからない程度に眼を逸らした。
「俺を信じるのは余計だ。お前のことは信用してやる」
「俺はお前を信じる俺を信じるっすけど」
 ――信じる、と。
 前線基地でエアーが否定した言葉だ。
 確かに信じられるものなどない、と。 
 けれどアンクトックが示した通り確かなものなどない、ましてや未来など。けれど希望を持つことだ。そうあればいいと願うことが、信じる、ということだ。
「裏切らないと生きて誓うなら」
 表情を変えないままに、エアー。聞いたピークが短く失笑する。
「じゃあ、生きて誓う」
 答えて片手を机に出して肘をついた。ピークの片手を見下ろして、今度はエアーが失笑した。ひどく不器用に歪んだ笑顔だったけれど。
「俺にあれをやれとでも?」
「引っ込みつかないんすよ」
「あぁ」
 ばちん、と音を立ててエアーがピークの手の平を叩いた。叩いた手で肘をついて、そのまま手の甲をぶつけ合う。
「信頼する、ピーク・レーグン」
「同じく、エアー・レクイズ」
 下級兵士の中で流行っているおまじないのようなものだ。言って二人で軽く笑った。
 窓の外は真っ黒で、大粒の雪が降り注いでいた。今日の出来事も、今の出来事も穴抜けに隠して。
  
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