115.笑いあう未来のために

   だいぶ時は遡るが、カラン・ヴァンダをマウェートに諜報に、という指示をしたのはウィク・ウィアズだ。第三大隊の総司令と名目上なっているため、指令役を任された。
 実際はセイト指示であることは、カランもなんとなしに気が付いていた。そもそも、ウィクが直接カランに伝えたとき、悪戯するような顔で『本当は嫌なんだ』と告げたことからも、本人の意見でないことは明白だった。
 けれど、ウィクのためにマウェートに向かうと決めた。本心を垣間見せたウィクに、カランは心から従おうと思った。ただそれだけだった。
 カランの意思表示に、面食らったのはウィクだった。
 指示を決めたのは自分ではないし、内容も結構ちんぷんかんぷんだった。なのに、笑顔で従うと言われた。罪悪感と、自分で意思を決めたカランに対する羨望が、日が経つごとに募るのだった。


「ねぇティーン」
 ウィクはいつも通りに窓辺に座って外を眺めて休みながら、同じ部屋に今日もいる、ティーン・ターカーを呼んだ。ティーンはいつも通りに机に向かって、書類の束を仕分けているところだ。
「カランは元気?」
 ティーンは訝った。
「体調のことをおっしゃっているのでしたら、元気そうでしたが」
「そっか。カランは、元気かどうか見分けるの大変だもんね」
「はい。精神的に元気なのかという問いでしたら、元気でしょう」
「そっか。ならいいんだけれど……」
「どうかなさいましたか?」
「ううん。忙しかっただろうから、気になっただけだよ」
 無理に笑ったウィクに訝ったティーンの意識は、部屋の――ウィクに与えられた執務室の扉がノックもせずに勢いよく開いたことに全て奪われた。
「おいティーン! またエアーの奴いなかったぞ!」
 バタン、という扉の音と、大声と共にやってきたのはティーンの幼馴染で親友のクレハ・コーヴィ。ウィクに挨拶もそこそこに、無遠慮に部屋の奥までやってくる。
「今度は休暇だってさ! いついんだよぉ、あいつさぁ」
 知るか、と答えなかったのはティーンの優しさだろうか。けれど顔に『知るか』の一言をありありと表現して、眉間にしわを寄せた。
「クレハ、この時間は訓練時間のはずだが?」
 一応は隊員のクレハに、一応は苦言しておくティーン。クレハはティーンの苦言などどこ吹く風。
「そんなことよりよ、ティーン――ウィク様も。今マウェートに暗黒魔道士ってのがいるって噂」
 訓練を『そんなこと』呼ばわりでクレハ。ティーンも諦めていた。すぐにクレハの噂話に意識を切り替える。
「なんだと?」
「マウェートにとっちゃ天敵みたいなもんだからさ、変な噂だよなぁ、とは思うんだけどさあ。でもほら、火のないところに煙は立たないっていうだろ?」
 聞いてウィクが窓枠から降りた。降りてクレハを正面から見て「まさか」と。
「ティーン、もしかしてそのせいでカランはマウェートに?」
「正確にはわかりかねますが」
 実を言えばティーンもウィクも理由を聞かされていない。マウェートに行かせるという指示をさせられたのと、指示書をカランに渡すように言われただけだ。
「でもどうしてカランがわざわざ選ばれたんだろう」
 腕を組んでうんと唸ったウィクの行動は年齢相応――それも年齢よりも少し童顔なのでかわいらしい動作になってしまった。クレハがちょっとだけ笑顔を浮かべたけれど、ティーンは変わらぬ厳しい表情。
「実力がなければならない理由が、暗黒魔道士という存在なのではないですか」
 ウィクを見、次いでクレハをティーンは見た。
「クレハ、エアーがいないと言っていたが、他にいない高等兵士はいるか?」
「あぁ。マウェートの基地以外だったら、いつも通りピーク高等兵士」
「『いつも通り』?」
 首をかしげてウィク。「はい」と答えたクレハは、今度は思いっきり笑顔。
「何かあるとちょこちょこ王城から消えるので有名なんですよ、ピーク高等兵士って」
「じゃあエアーは巻き込まれた、かな?」
 ウィクがにこっと笑った。クレハがあはは、と笑った。内心驚いてもいた。
「ありえますね。同じ部屋ですし」
「だとしたら他にも関わっている人間がいるだろう」
 ティーンの眉間に皺が寄った。
「次に行くのは第三大隊だ。出来る限り危険要素を減らしたい。クレハ、協力してくれるな」
「おう、もちろん」
 にかっと。即答してクレハが笑う。
「なんでも頼れよ。自由に活動して、手伝ってやるからさ」
「自由には余計だ。まずは情報だ。クレハ、マウェートと暗黒魔道士を中心に噂話を集めてきてくれ」
「お、いいな、そういうのなら好きだわ。任せろよ!」
 緊張感なく笑顔のまま、クレハ。眉間に皺が寄っているティーンとは対照的だ。クレハの笑顔を見て、ウィクはくすっと笑った。
「なんだか、クレハはとっても楽しそうだね」
 本当は緊迫したっておかしくない情報なのに、クレハは「もちろん」と曇ることない明るい口調でウィクに答える。
「人生、楽しまなきゃ損、ってもんでしょう!」
 言ってあはは、と笑った。耐えかねたティーンがため息と失笑を落とせばますます楽しそうに。
 ウィクも一緒になって笑いながら――できることなら、皆がクレハのように思えればいいなと思っていた。自分も、セイトも、みんな、みんな。
 いつかマウェートとの戦争が終わったら、マウェートの人々とも笑い合えればいい。
 そしたらみんな、幸せになるのにって。
  
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