112.同郷のサクシカ

   とん、すとん、という耳慣れた足音を聞いてエアーはふとして目を開けた。
「何の用だ、ライフ」
 カーテン全てが閉じられた薄暗い訓練場と中庭の境に座って、エアーは振り向かずに声をかけた。誰もいない場所へ行きたくてたどり着いた第一剣士隊の訓練場。今マウェートに出征していて誰もいない、クォンカの隊の訓練場だ。
「右足の踏む音が強い、加えて歩幅がずれて、歩くリズムが変わってる。大きく手を振って歩くのは、ライフ・ホリデド以外で誰だ? それとも違う隊の人間か」
「いえ、当たりです。すいません、わかりやすくて」
「別に」
 短く答えて、エアー。顔は不機嫌そうな無表情。
「それで?」
 ライフは問われた口を閉じたまま。むくれ面でエアーの背中を見る。
「ここにマークはいない」
「なんでそこでマーカーの名前が出てくるんですかっ。私行きます!」
「あぁ」
 くるっとライフは踵を返した。――若干図星だった。マーカーが懐いている理由を知りたくて、信じる理由を知りたくてエアーの姿を探してきた。けれど誰もいない訓練場で休んでいるだけの男に、信じられる理由のかけらも見つけられない。
(そもそもエアー・レクイズなんて、憎むべき人間で!)
 鼻息荒くライフは歩いて訓練場を出――少し後に、訓練場に新しい足音が入ってきた。
 聞きなれない足音にエアーが振り向けば、いたのは第二剣士隊隊長ノヴァ・イティンクス。エアー以上に第一剣士隊の訓練場に縁のない人間だった。
「暇そうだな」
 挨拶もせず、唐突にノヴァ。表情はあまりない。
「実は俺も暇なんだ」
 一瞬エアーは何を言われているのかわからなかった。
「俺は別に」
 とっさに答えた声に、「そっか」とノヴァ。
「じゃあ聞け」
 命令口調で言われて、エアーは反射的に口を閉じた。――そも、ノヴァに敵うとも、逆らおうとも思っていないのが潜在的に現れたがゆえ。ノヴァのペースに完全に乗せられている。
「年始、帰らなかっただろう。テイルが会いたがってたぞ」
(何の、話を)
「直接礼を言いたいらしい。帰れ」
「時間ができたら帰ります」
「帰れ」
 繰り返されて、エアーはノヴァから目を逸らした。口を閉じ、沈黙のままに。
 ノヴァが入口からゆっくり歩いて近づいてくる。少しも乱れない歩調に、揺るがない視線、口調。
「家族に会いに行け」
 エアーまであと数歩のところでノヴァが立ち止まる。エアーは座ったままだ。ノヴァには背中を向けた状態になる。
「分かってます。親父もいない。俺がしっかりしていかなきゃいけないことぐらいなら」
「そうじゃない。お前のために、会いに行け」
 だめだ、とエアーは思った。
 今は会いに行けない、会いに行く自信がない。
 エアーは重く沈黙して、考えた。ノヴァはごまかしなど許さない態度でいる。自分程度のごまかしなどすぐに見抜かれる。ノヴァもエアーの返答を待つように言葉を続けない。
 沈黙が痛い、と久しぶりにエアーは思った。
 話さなければと思うのは久しぶりだ。
「……分かってます。本当は会いに行かなきゃいけないことぐらいなら」
 数秒、沈黙が流れた。流れて、とん、とん、と床を踏む音がエアーに近づいた。
「そうか」
 答えたノヴァがエアーの隣に立った。誰もいない中庭を並んで眺めて、また数秒後。
「昨日の模擬戦、面白かったな」
 エアーは訝った。訝ってノヴァを見上げる。ノヴァはエアーを見ていなかった。
「ああいう戦い方もあるんだな、参考になった」
「はい」
「けど、お前は無茶をし過ぎだぞ」
「?」
「それに隊員をついていかせるな。お前の隊は確かにできる奴が多い。けど、お前の無茶に付き合わせるのは危険だ」
 それに、と続けるノヴァはいつもよりずっと饒舌だ。普段はあまり話さない方の人間なのに。
「お前も、無茶をするな。お前自身が危険だ」
 無茶なんて言葉は、クォンカの隊では禁句だった。
「ですか」
 けれどノヴァの隊では違う。無茶が禁句だなどとできたのは、クォンカだからだ。
「気を付けます」
「うん」
 抑揚のない返答に、さらに抑揚なく返答したノヴァ。
「クォンカが帰ってきたら仕事が増えるぞ。覚悟しておけ」
「ノヴァさん」
 ノヴァが無言でエアーを見た。エアーはなんとなし、いつもと違うノヴァを見るのは不安だった。杞憂ならいい。だが嫌な予感はする。前回饒舌だったのを見たのは、フリク蜂起の時だ。話の芯を隠して、フリクの人々をうまく巻き込んだ。
「巻き込むのは、ほどほどにしていただけると助かります」
 真顔で、エアー。ノヴァがにこ、と少し笑った。
「わかった。気を付けよう」
 巻き込むことを否定しなかったノヴァの理由をエアーが知るのは数日後。
 マウェートに遠征に出かけていた第二大隊の半数が、帰ってきてからのことだ。



■□



 第二大隊が帰還したのは、一番目の月の二九日目。帰還早々、第二大隊三番隊隊長クォンカ・リーエはその日の真夜中に、エアーとピークの二人の部屋にやってきた。部屋の中に通されたクォンカは疲れた顔一つ見せず、腕を組んでにっかりと笑って見せる。
「久しぶりだな、ピーク、エアー」
 表面上平生としながらも驚いたのはエアーだった。寝ようかと準備していた最中で、外していた剣を手元に置き直すほど。ピークは資料の散乱する机にかじりついていた最中だったため、そのまま振り返るに落ち着いている。
「さっきぶりっすね、クォンカ」
「おう、だがさっきのは会ったとは言わんだろう。それに俺はお前のことは見ていないしな」
「あ、俺の片思いっぽく言わないで欲しいっすね」
 言ってピークがへらへら笑う。部屋の対の位置でベッドに腰掛けたエアーはほんのちょっとの嘆息一つに窓を見た。――普通にピークが『帰還の列で見かけたばかり』と言えば問題ない話で、クォンカも律儀にふざけなくても、と。
 そんなエアーの顔など放っておいて、ピークは二つの指でパチンと指を鳴らしてクォンカを指さした。エアーのため息も呆れ顔も慣れっこだ。
「んで、どうしたっすか? クォンカ」
「おう」
 言われてクォンカは少し悩むように腕を組む。エアーが椅子を差し出すと、一言礼を言って座る。
「“化け物”についてなんだが」
 口裏や事前に情報があったわけではない。だがピークもエアーも理解した。
 ファルカにいた“化け物”のことだ。
「実はな、あっちで偵察に出かけるとよく遭う。ファルカで同じような“化け物”が出たと聞いてるんだが、どうだ?」
「いましたねぇ“化け物”。同じやつを言ってるのかわからないっすけど、それぞれの個体で、それぞれ生物的に異形なやつ」
「おう、こっちのものだ。全部形も違うし、規則性があるわけでもなさそうだ。共通してるのは、『速さ』と『力』だ」
 肩をすくめて、クォンカ。その時にうっすらとだけ、疲れが見えたような気がした。
「偵察に出た奴の中から既に、何人か被害が出てる。うかつに動けなくなった」
「ファルカのも、輸入元がマウェートだったっすからねぇ」
「それは初耳だ。調べは進んでるのか?」
「いや、集めようと思った矢先、マウェートからの情報が入らなくなりました」
「お前もか。こっちもだ」
 うん、と少し悩んでからクォンカはエアーを見た。
「この件、お前はどう思う」
「どう思う、とは」
 見られたエアーは無表情でクォンカを見返し、クォンカは少しだけにやりとした。
「お前ならどう対処する?」
 エアーはほんの少しため息をついた。ばれるかばれないか程度の、ほんの短い息で。クォンカなら充分知っているはずだろう、クォンカやピークたちが行っている諜報活動が本来エアーの苦手とするものだということを。
「どう、と言われても」
 クォンカが少し目を細めた。期待外れの意味だろう。
 期待されても困る、唐突にやれと言われてできるほど簡単なものではないはずだ。
「……カラン・ヴァンダがマウェートに行ったでしょう。何かありそうですが」
「カランがマウェートにだと?」
「はい。第二大隊の帰還に紛れて戻ってきていました」
「知らなかった。ホンティアと――あとはアタラも一枚噛んでるな。すっかり隠された」
 残念そうな声音で言うくせ、少し顔は楽しそう。
「お前はどこでその情報を仕入れたんだ?」
「セイト様が。極秘の仕事に出たとナーロウさんに伝えてもいいと」
「セイト殿下か」
「あー、そういやファルカの件、殿下にも伝えてました」
 へらへらと笑ってピーク。忘れてました、などと言いながら絶対覚えていたに違いない。だが動いたのは予想外だったのだろう。
「じゃあ、あ?」
 ピークが目線をクォンカに送るとクォンカが頷く。「おう」と。
「俺がカランに訊いておこう。数日もらうが構わないか?」
「あいあい、よろしくお願いします。うちらはだいたいこの時間は普通に起きてるんで。エアーはたまにいないっすけど」
「……数日ぐらいでしたら待ちます」
 完璧に巻き込まれたな、とエアーは思った。思ってふと。
「ノヴァさんはどうしてますか」
「ノヴァか? ノヴァなら、机に向かって必死に何か書いてる。話しかけても鬱陶しそうに払われた」
「ですか」
「おう。あいつが何か書いてるのは珍しくはないがな。フリクの時もあれだった、少し変な予感はする」
「そうですね」
 同調してエアーも頷いた。絶対に何か考えているに違いない。
「そうだ、ピーク」
 名指しでクォンカ。表情は至極緩い。ピークが改めてクォンカに目線を送る。机に頬杖をついたピークの表情も至極緩かった。
「この“化け物”の件がカタンの耳に入れば何かするだろう。それも注視しといてくれ。俺も注目はしておくが、お前の方が近い位置にいるんだ、わかりやすいだろう」
「はあ、なんで俺にわざわざ。頼まれたもんは気を付けておくっすけど」
「おう、頼んだぞ。最近カタンが何をするのかがわからなくなってきた。賊の討伐もそうだ」
「カタン・ガータージは、」
 会話に割り込んだエアーが半眼になった。クォンカとピークの顔を見ず、少しだけ嘲笑するように鼻で笑った。
「対処はするでしょうが、お二人のように防ごうとはしないかと」
「どういうことだ?」
「賊の時も対処は早かったですが、対処しただけです」
 なら、と続けるエアーの顔が侮蔑に満ちた。
「利用すればいいだけです」
 事実、ファルカの賊討伐ではそうした。先に周辺の賊討伐を行っていたカタンの副官に合流し、賊の情報を出させ、賊の逃げ道をファルカへの一本のみにさせた。利用したことでさらにカタンの顰蹙を買ったが、問題はない。カタンの評価などエアーには興味のないものだ。
 聞いたクォンカが苦笑した。
「少しは共存しろ、仲間だぞ」
 聞いてエアーに一間、あった。一間後、ふいっとクォンカから目を逸らして「ですね」と。実を言えばエアーなりの譲歩が、利用することなのだが。エアーからにじみ出た不服さに、クォンカが今度は声を上げて笑った。げらげらと。
 げらげらと笑うクォンカを見るエアーは不服そうだ。表情に確かには出なかったけれど。
(心配したが、何とかなりそうだな)
 安堵でもって息を吐いて笑いを止めて、クォンカは立ち上がった。立ち上がって二人を見下ろし、「よし」と。
「今度は数日後だな。お前らの方でも進捗があるのを期待してるぞ」
 にっかり笑って部屋の入り口へ向かう。「じゃあな」と一言、部屋から出てクォンカは高等兵士寮の狭い廊下を見た。この道を使うのは高等兵士か、副官か、ごくまれに他の人間程度。今も廊下には誰もいない。
 暗い廊下から一人の副官がやってくる幻影を見た。懐かしむ心が見せた過去の映像で、すぐに掻き消えたけれど。
(何とか、なるか)
 スノータイラーでのエリクの死から、帰還直後のファルカでのホルン・ノピトの死。本当に変わってしまったのか、ノヴァとクォンカがエアーを推薦した理由まで失われてしまったのか、本当に折れてしまったのか。
 心配はしていたけれど、何とかなりそうかなと、クォンカは繰り返し思った。エアーに対する願いでも、自分に向けた諭しでもあった。
 何とかしようとしても何ともならないことも多いのが、人の心だ。人の核にある。
 奥底に隠されて見えることのない人間もいる。だがまだ、そこにあった。まだ微かにだけれど見える位置に。
 だから、『なんとかなる』。
 クォンカは見ていた反対側に足を降り出した。すぐ隣の部屋が自分の部屋で、何かを企むノヴァの部屋でもある。先ほどの部屋の前で新米の副官と新米の高等兵士二人でうなだれて、最終的に笑っていた二人を盗み見ていたのはほんの二か月前。――たった二か月だ。
 寂しいと思う心も、悲しいと思う心も表には出せないでいるけれど、それでも。

 我々も、心もつ、紛れもない人間なのだと。

 それを知らしめることができる人間こそ高等兵士であってほしいと、クォンカ・リーエは思っている。
  
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