111.“ウィク・ウィアズ”

   ちなみにエアーはセイトとはよく遭遇するのだが、ウィクとはあまり接点がない。統合部署で見かける程度、と言っても過言ではない。だがウィクが統合部署に顔を見せることはあまりない。名代のティーン・ターカーが全て行って行ってしまうのだ。
 一番長く眺めたかなと思うのは、八番目の月の式典の時だ。
 第三大隊の総司令として呼ばれて、王国軍の一番前に並んだ小さな姿だけ。
 黒い髪で青い瞳で、背丈は小さくて肌は白い。どこにだっている下級兵士だ。
「エアーっ」
 だから呼ばれたとき、反応が全くできなかった。呼ばれて立ち止まって振り返ると、しばらくして少年が走ってきた。立ち止まったエアーの前に立ち止まって、両膝に手をついて笑う。
「よかった。クレハには会った?」
 ――誰だ、と最初に出てきたのは疑問だった。剣も提げていなかったし、騎士たちのように独特のブーツを履いているわけでもなかったから。
「クレハなら」
 先日会った。というより声を聴いた。
「この前」
 クレハを知っているのなら騎士だろうかと訝る中、ふうふうと肩で息をしながらウィクが笑った。屈託ない少年の笑みで。
「そっか、よかった。それにしてもエアーは速いね。息だって上がってない」
 とりあえず訝った。無言で。
 ウィクは「あ」と声を上げると、苦笑した。
「セイトの様子を見に行こうとしたらエアーがいたからね。追いかけてみたんだけど全然追いつかなくって、見えなくなるかと思ったよ」
「小会議室から?」
 ちなみに今いるのは正門へ続く門口だ。ウィアズ王城の正門前の門口はかなり広い。端のあたりで話す二人など、一角にすらならないほど。周りには多くの人が行きかう。この門口から小会議室まで、流す程度とはいえエアーは走ってきた。それについてきたのだという。
 短くない距離だ。それもセイトを呼び捨てにするのだから、かなりの身分のはずで――と思ったところで自分の愚鈍さを呪いたくなるほど理解した。
 エアーはここでようやく、目の前にいる人間がウィク・ウィアズであることに気が付いたのだ。
「何か御用ですか?」
「ううん。クレハが会いたいって言っていたから、会ったのかなって」
「それだけですか?」
「うん。なんだか途中でむきになっちゃってね。結局追いつけないんだもの」
「失礼ですが、俺に追いつけるのであれば正式に兵士として推薦されています」
「あ、ひどいな。推薦されてないって言ってるようなものじゃないか」
「ですね」
 エアーはあくまで無表情のまま。ウィクはエアーの毒舌に屈託なく笑顔を作る。
「じゃあもっと精進しないとな。僕にはそれしかできることがないから」
「ですか」
 あくまで淡泊に答えたけれど、エアーは少しウィクのことを認めてはいたのだ。小会議室からこの門口まで、見失わずについてきたという。隊員の中でも足か体力に自信のある人間以外は、なかなかにできないことだ。
 けれど息が上がり過ぎだろう、というのが評価を下げる要因。
「第三大隊でしたら、ノヴァさんの隊に混ざるのが妥当かと」
 言ってウィクに背中を向けた。向けられた背中をウィクが掴む。
「待ってよ、だったらエアーが手伝ってくれもいいじゃないか」
「お断りします」
 掴まれて立ち止まって、身を半分だけ振り向かせた。エアーの顔は睨んでいた。
「俺の指導は生傷が絶えないそうなので。ティーン・ターカーにこれ以上恨まれたくはありません」
 傍目にもわかるほどの過保護ぶり。エアーはウィクと話すほどイラつきが募るのを感じていた。
 セイトとウィクの、この環境の違いはなんなのか。
 ウィクが怖気づいて手を放すと、エアーは足を振り出して大股で門口から去った。
 取り残されたウィクは行き所のなくなった手を下して、もう一度小会議室に向かうために踵を返した。
(エアーはどうして怒ってたんだろう……セイトも)
 怒る理由が知りたいから言葉を交わしたい。けれど交わすことさえ許されない。
 ふとして見やった窓から見える空は青くて城の中は陽の光で満たされていて、朝の空気は冷たくて気持ち良いのに。なぜだか胸にはぼんやりと、黒い雲が詰まって抜けなくなった。
(なのにどうしてそんな僕に、カランは……ティーンもだけれど)
 何も言わずに『従う』とだけ、言ってくれるのだろう。



□■□



 ウィクに「従う」と告げた、カラン・ヴァンダはマウェート王国領に居た。居た、というか、運ばれてきた。
 マウェート王国には、雪が降っていた。
「雪って、嫌いだな」
 ウィアズ王国との国境に近い土地なのに、マウェート国土に入った地点で気温が下がってしまったかのよう。カランは荷馬車の屋根に寝そべって、ぼんやりとつぶやく。
「寒いし、冷たいし、濡れるし」
 濡れたうえに、冷たいし。
 夕暮れ。けれど白い雲が厚く敷き詰められた空は夕陽もなく、ただ薄暗い。
「カラン?」
 荷馬車の下から、ホンティア・ジャイムが声をかけた。ホンティアは弓を背負っていた。矢筒には大量の矢。伸ばされた量の多い銀色の髪はいつも通り無造作。掲げた手にはいつもの――カランがホンティアの副官を辞めるまでいつも目にしてきたグローブ。
「そろそろ降りなさい? 始まるわよ」
「はい」
 カランは軽く答えてひょいと起き上がった。起き上がって荷馬車から降りようとしたところで、すぐ下に小柄な人物を見つけた。
 赤紫のローブを着た、赤紫の髪を持つ女、魔道士アタラ・メイクル。
「うわ……」
「こんの……くそ忙しい場所で……」
 アタラがこれ見よがしに呟いて、大仰にため息。肩から空気が抜けるさまが傍目にもわかった。カランは少し眉を上げる表情を作り、しれっと。
「いいだろ?」
 と。
 聞いたアタラがぎろりとカランを睨み上げた。
「よくない」
 アタラも即答。
 アタラの怒りの口調もなんのその。カランは聞いてすぐに荷馬車の屋根から飛び降りた。アタラのすぐ横。アタラは眉一つ動かさずに、カランを睨んだまま。
「お前の顔は売れてるってことを自覚しろ」
「うん、わかった」
「わかってない」
 いつもに増してとげとげしい口調に、カランは表情をあまり変えずに肩をすくめた。――そも、表情の表現が、あまり激しくないのだ。
「わかってるって」
 完璧にただの押し問答だ。どことなくかみ合わない。アタラは眉間にしわを寄せて、ぐいっと持っていた袋をカランに突き出した。
「ビンの中に鏃を入れてある。自分で組み立てて使え」
 袋の中身を見ればビンが三つ。それぞれに鏃が入っていて、ラベルが貼ってある。――『シールド』『黒魔法』『召喚獣』
 カランが訝って小瓶を眺めていると、アタラが短く息を吐く。
「魔法解除の薬。原液から離れて二十四時間経つと鏃に移った効果は消えるの、ばれても再利用されないように」
「へぇ」
「それ使ってなんとかしろ。私たちが帰るまでに戻ってこれなかったらおいてく」
「アタラは俺のこと連れてこようともしなかったけど」
「どうせ勝手にきたでしょ」
 アタラが腰に手を当ててカランを睨んだ。アタラの少し後ろではホンティアが口に手を当ててくすくす笑っている。
 実際カランは最初、マウェートに出征する第二大隊の総司令アタラにマウェート行きの運搬を願った。けれど一刀両断に断られ、食いさがったところで「勝手にしろ」とお言葉をいただけたわけで。カランは本当に勝手についてきた。第二大隊二番隊隊長ホンティアと、ホンティアの隊の昔馴染みに願い出て。
 なのでカランは悪びれない。
「うん。仕事だしな」
「……はあ」
 アタラが大仰にため息をつく。カランは少し、楽しそうに笑った。楽しそうな気がした、ぐらいの表現だけれど。
「ありがと、アタラ」
「別に。失敗されると困るのはこっちだ」
 答えてアタラが、ふん、と鼻を鳴らして踵を返す。
 アタラが去っても居残っていたホンティアは実に楽しそう。持っていた帽子をカランにかぶせて「はい」と。
「せめてその長髪、隠しなさい。兵士に見つかったら言い訳つかなくなるわよ」
「はい。『顔が売れてる』って、こういうとき不便ですね」
「そうね。でも悪いことじゃないわよ」
 ホンティアがえくぼに指を当ててにっこりと笑う。カランも身支度を続けながら、失笑。知らず込めていた力を抜いた。
「必ず、帰ります」
「えぇ。絶対ね。アタラの言った通り、待っててはあげないけど」
 くすくすとホンティアが笑った。カランは少しだけ頭を下げる。
「いってきます」
「えぇ、いってらっしゃい」
 どこへ、とホンティアもアタラも聞かなかった。カランは流石だなと思うのと同時、不思議と笑みが浮かぶのを堪えられなかった。
(さて、と)
 ホンティアに背中を向けて、カランは走り出した。マウェートとウィアズの国境にあたるこの平原では、マウェートの簡易防衛基地に向けて、ウィアズ王国軍が進軍を始めたところだ。その進軍の混乱に乗じて、隠れてマウェートに侵入するつもりでいる。
 一歩一歩、訓練された地上隊が進んでいく。いつもは中に混じっているので、はたから見たのは初めてだった。見れば、確かに壮観。マウェート軍が迫るときと、何が変わるのか。
 カランはひとり、誰にも気が付かれないように山際を走る。
 不意に背中が明るくなったので、カランは帽子を押さえたまま振り向いた。振り向くタイミングに合わせて凛と響く女の声。
「戦いと勝利の神よ来たれ! わがウィアズ王国に勝利の炎を!」
 アタラのものだ。カランの口に少し笑みが浮かぶ。
 ――ウィアズが勝つと、確信できた。
 背中を照らす炎の光はまるで陽。だから空の雲も白銀の大地。大地は空。
(俺も行こう)
 目の前には空しかないのなら、必ず帰れる。
 必ず、成功させて。
  
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