109.噂好きの自由人

   ウィアズ王国暦七〇年を迎えた。一番目の月、初頭。
 いつもは平和な王城に響く怒鳴り声。怒鳴り合う二つの声は、王城では怒鳴り声で響くことが滅多になかったものだ。
 どこまで聞こえているかなと、窓を開けた状態でクレハ・コーヴィは考えた。窓に頬杖をついて、いい天気だなと外を眺めながら。
 クレハがいるのはウィアズ王国第二王子ウィク・ウィアズの執務室だ。なので本当はクレハのようなゆるい格好ができないはずなのだが、部屋の主のウィクは隣で窓縁に両手を当てて風を浴びている。クレハの態度を気にした様子もない。
「この声は……カタンのものだね?」
「はい、当たりです。あいつが怒鳴るなんて珍しい」
「もう一つは……」
 なぞなぞでも解くような顔の後、ウィクは笑顔を苦笑に変えた。
「たぶん、エアーかな? あんまり声を聞いたことがないから自信はないけれど、今日出張から帰ってきたって聞いているから、カタンのところに行ったんじゃないかな?」
「流石ウィク様、大当たりです!」
 至極嬉しそうな顔でクレハ。
「はは、あいつの怒鳴り声は珍しくないから」
「それはクレハが原因だろう」
 二人とは少し場所がずれる。執務室で一番大きな机について書類を整理しているのはティーン・ターカーだ。ウィクの補佐として任命されたが、ウィクの仕事のほとんどを請け負っている。ウィクではあまりに経験も知識もないからだ。
「カタンが怒っているのは先の賊討伐についてだな。結果賊を壊滅はさせたが、やり方が酷かった」
「でもよー、あれから王国軍にくる救援要請なくなったんだろ?」
「あぁ。賊そのものの人口を激減させたのはもちろんだが、やり方で周囲に恐怖を与えたことが抑止力になったな。カタンが怒っているのは、見せしめをつくったことだろうな」
「まー、刃向かったら全員殺した、つってたし」
 クレハは窓の外を無意識に見やった。怒鳴り声が聞こえなくなっていた。帰って来たエアーはどんな顔をしているのだろう。入ってきた噂話はどれも酷い話ばかりで、エアーを知るクレハにとっては信じがたいものばかりだった。耳を覆いたくなるものばかり。
「会いに行ってくっかなー」
 くすりと、ティーンが笑う。声を聞きとめてクレハはティーンを見やった。
「心配なら会い行け。ついでにカランを見つけてきてくれ。ここに来るようにと」
「お、お使いなら頼まれてやるぜ!」
 慌てて立ち直してクレハ。ウィクも小さくくすくす笑っている。
「カラン・ヴァンダ高等兵士だな。あの人なら捕まえ易いから任せろよ」
「あぁ、頼んだ。時間はいつでもいい」
「よし! じゃ、ウィク様行ってきます」
 ウィクに向かいなおってぺこりとお辞儀した、クレハの作法はあまりうまくない。ウィクは「うん」と笑顔で答えた。
「お願いするよ、クレハ。エアーにお疲れ様って伝えておいて」
「もちろんです。ウィク様の言葉聞いたらきっと喜びますよ」
 ウィクに負けないぐらい笑顔でクレハは答えて嬉々として執務室を後にする。
 クレハを見送ってティーンはため息一つ、ウィクを少し見やった。ウィクもクレハが消えた扉を見ていたが、ティーンの視線に気がついて肩を竦めた。
「クレハは、サボっていることを忘れているよね?」
「……そうですね」
 ティーンの表情が硬くなった。実を言うとティーンもウィクに言われるまで忘れていた。当然のように居座るので、雑用をよく頼むようになってしまった。だが実は今、ティーンの率いる第三大隊一番隊は訓練中……のはずである。隊長であるティーンはウィクの仕事にかかりきりになることも多いが、肩書きは普通の隊員であるクレハがついてくる必要のないことだ。
(……雑用でもしているほうが、軍の役には立つか)
 実力はあるのだ、やる気がないだけで。



 結果、クレハはエアーと話せなかった。
 わざわざエアーの第三剣士隊の訓練場まで足を運んだが、いたのは隊員たちだけ。訓練中の剣士隊をいつまでも見ているわけにはいかなかったので、諦めて次の目的地へと向かった。
 知識も騎士としての実力も郡を抜くほどの実力がありながら、まったく着目されない。噂好きの騒動好きとしてか傍目に見られない。だからこそ好き勝手な行動がとれるのだが、本人に自覚はない。――というのがクレハである。ティーンに頼まれた人物、カラン・ヴァンダはすぐに見つけた。見つけ易いのもあるのだろうが、クレハが聞けばすぐに、様々な人間がカランの目撃情報を答えた。不信がりもせずに。
 カランを見つけて声をかける寸前、クレハはカランが誰かと話しているのに気がついた。中庭のベンチに座っていたらしい人物が少しだけ振り向いた。片方の頬を引きつらせて、皮肉そうな笑みを作るエアー・レクイズ。
「そう言われただけで、俺は幸せ者だ」
 答えた声に、感情がない。クレハは開けようとした口を閉じた。エアーと向かった場所にいるカランは腕を組んだまま、平生として表情に変化はない。
「欲ないな」
「余計なものを捨てただけだ」
「そっか」
 答えたカランの言葉もそっけない。そこで会話が途切れて、まるでクレハに気が付かないかのようにエアーが立ち上がる。ともあれ目的だった二人が一度に見つかったのだ。クレハは意気揚々と声をかけようと一歩踏み出した――瞬間、クレハの横をすごい勢いで剣士が走り抜けた。淡い金色の髪が軌跡を作る、細身の――女の剣士。弧を描く細長い剣が腰に挿されていた。
「エアー・レクイズッ!」
 手には木剣を握り締め、カランに目もくれずに横を通り過ぎ、力いっぱいに木剣を振り上げた。涙をいっぱいにためて唇を噛み、木剣を鋭く振り下ろす。だが感情的になっているせいか隙が多すぎる。エアーは眉一つ動かさずに木剣を避けた。
「なんのつもりだ、ライフ」
 問う声にすら、感情の一つも浮かばない。ライフと呼ばれた剣士は崩れた姿勢から、キッとエアーの顔を睨んだ。
「なんのつもり? よくそんな口が!」
 崩れた姿勢のまま、ライフはがむしゃらに木剣を振る。エアーはやはり無表情のまま、淡々と木剣を避ける。木剣を振りながら叫ぶライフの声はまるで悲鳴だった。
「あんたが、あんたが! ホルンを――っ」
「ライフ!」
 ライフを追って、もう一人剣士が走ってくる。名を呼ぶ声を聞いてライフは言葉を呑み込んだ。呑み込んで口をぎゅっと閉じて、さらにがむしゃらに剣をエアーに向けて振り続ける。
 エアーは変わらず木剣を避けていたけれど、途中でつまらなそうにため息をついた。ため息をつくと、振られている途中の木剣を虫でも捕まえるように鷲掴みにした。
「お前にとってはただの玩具だな」
 掴んですぐにライフから木剣を取り上げる。ライフは空になった手を握りしめて、手と同じぐらいに眼に力を込めてエアーを睨みつけた。ライフを見下ろして、エアーは無表情のまま鼻で笑った。
「マーク」
「はい」
 極最近、エアーはマーカー・クレイアン・サーを呼ぶ時『マーク』と呼ぶようになった。なんでも、マーカー・クレイアンの略だ、と。
「マーカー・クレイアン・サー。ここにいます」
 ライフを追ってきた剣士が平生と答えると、エアーはライフから奪った木剣を追ってきたもう一人の剣士――マーカー・クレイアン・サーに放り投げて踵を返す。足を振り出せばそこにいる全員に背を向ける形になる。
「十五時から第二小会議室を借りられた。隊の編成の組み直しだ」
「はい、手伝わせていただきます。しかし隊長が隊に出られるのは明日からでは」
「明日までに終わらせる。休むつもりなら先に休んでおけ」
「はい!」
 話しながらもとっとと歩き出したエアーに慌てたのはクレハだ。半歩だけ踏み出して片手を上げた。
「あ、エアー、ちょ、おかえり! お疲れ!」
 エアーはちらりとクレハを見やって、だが立ち止まらない。片手を挙げて聞いているぞと主張して、クレハの視界からとっとと消えた。
 他の剣士たちも続くように中庭近辺から去り、同じようにカランも立ち去ろうとするところで、クレハはティーンからの伝言を告げた。カランは伝言を聞いて、少し首を傾げたけれど。
「わかった。すぐ行く」
 答えて、本当にすぐウィクの執務室に向かったのだった。
  
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