108.ア・カペラ エピローグ

   ヌガラが死んだことによって、ファルカが得た物が二つある。
 一つ目は平和。
 二つ目は情報。
 賊が壊滅したことによって、ファルカには活気が戻った。大通りにも人が増え、旅行者や商人たちも姿を現し始めた。
 ファルカに訪れてからずっと借り受けている部屋で、机の上の資料を眺めながら、エアーはふと窓の外を見やった。
「今日は年末日ですね」
「あー」
 同じ部屋の丸いテーブルに腰掛けて、同じように資料を眺めていたピークが気のない返事をした。椅子にだらしなく腰掛けて、足を投げ出している。
「もう来年っすか」
 実は二人とも昨日から寝ていない。賊討伐と薬草騒ぎの後始末に思いのほか時間がかかってしまって、王城から催促の伝書が届いた。
 早く帰ってこい、と。二人の直接の上司にあたるカタンからの伝書だった。期限は一番目の月の一〇日目まで。道のりや準備を考えれば今日中には後始末は終わらせてしまいたいたかったのだ。
 時間がかかったほとんどは賊の身元を検証しなければならなかったことだ。賊の中にファルカ出身者も、少なくなかったらしい。
「二人。誰なのか判別がつきません」
「二人で済んで助かったっすよ。俺だったら全部丸焦げにしてたかも」
 実際そこまでやるつもりもなかったくせにわざと軽口を叩く。死体ばかりみていれば気分も欝になるというもの。ピークの軽口は多少助かる。エアーは皮肉そうな苦笑を浮かべた。
「そちらは?」
 エアーに問われてピークはぴらりと一枚の紙を掲げた。
「これ、モーガスは関係ありませんっつーお手紙っす」
 束に戻すと、別の数枚をさらに掲げた。
「これが薬草の効果実験結果」
 さらに別の数枚。
「これが相殺するための実験結果。結論はほとんどでてます」
「そうですか」
「えぇ、あとはこれをまとめるだけっすね。ルタトに任せても構わないと思うんで、俺はこっちだけっすよ」
 こっち、と最初にとった一枚を掲げてへらりとピークは笑った。光に透かすように紙を見上げて、思わず嘆息。一度話をしてみたかった。
 薬草の研究にあたって、ヌガラは人体実験を繰り返している。主に賊たちの中で。事細かに症状を書き留め、実験結果も細やか。結論に至るまで細心の注意が伺える。
 本物の知識として完成させるために、どれだけの努力と時間をかけたのか。
(俺たちじゃあできなかったっすね。どうせ俺は魔道士で、ルタトは医士。専門が違うっつっても、尊敬できるぐらいの学士だったと思うんすけど)
 縁がなかっただけ。運も。
「迷っているなら、俺から意見しても結構ですか」
 ピークに背中を向けた形になって座っていたエアーが、顔をピークに向けた。エアーの表情は最近はとりあえず無表情。不機嫌ともとられてしまうほど、明るい方向への表情転換がなくなった。
 ピークはひらりと手のひらを返して「どうぞ」と。エアーの無表情などとっくに慣れた。エアーはピークに体ごと向かい直ると、机に肘をついた。
「やりすぎです」
「は?」
「それはミーシャさんの、もしくはファルカの誰かが判断すべきことでしょう。俺たち王国軍が口を出すべき問題ではありません」
「あー」
 ぽっかりと口をあけて、ピーク。ちょっと間抜けな顔。
「まぁ、そりゃ、そうっすね」
「法で裁くのは法を司る人間で、俺たちは実行するだけです。違いますか」
「はい、違いません」
 素直にピークは肯いた。
「やー、忘れますね、そういう基本」
「だからやりすぎなんです」
「はは、肝に銘じます」
 へらへら笑い顔でピークは素直に肯いた。気分は目から鱗。気持ちよくすっぱり丸投げしてやろうとピークは決めた。
「じゃあ、あとなんか残ってます? 手伝いますが」
 へらへら顔で、ピーク。エアーはピークを睨んだ。
「総司令への報告書はできましたか?」
「できてません。帰ってからでいいっしょ」
「構いませんが、ピークさんが書いてるそれ、総司令にも送ったほうがよろしいのでは?」
「送ります。報告が俺の字じゃないとナーロウさんになんて言われるか……ホント、予想つくだけに考えるだけでも疲れるっすよ」
 大仰にピークがため息をつくのを、エアーは無視をした。エアーもピークの仕草に慣れてきていた。――のが、ピークには少し面白くない。
「他には誰に向けて書いてらっしゃるのか、教えていただいても結構ですか?」
 ちぇ、とピークが音に出した。
「はいはい、セイト様っすよ。今回の経過……それも“化け物”関連が気になるつって」
「セイト様がですか?」
「んまあウィアズ国民が期待してる殿下っすからね。さすがっすよ」
 ヌガラの残した資料でわかったこと。“化け物”はマウェート王国から輸出されてきたものだということ。
 裏のルートを使って動いていたものを、ファルカ近郊でくすぶっていた賊が手に入れて、ヌガラの薬草で従順にさせる術を手に入れた。ヌガラの合流と賊の勢力が増したのはほぼ同時だ。
 エアーは「そうですか」と答えて、少し考えた。考えるついでにピークから目をそらして窓の外に視線を送る。
 朝日が眩しかった。入り込む陽の光と同時にピークが作っていた光源が失われる。
「お前はどうします? エアー」
 呼ばれてエアーはピークに視線を戻す。ピークは相変らずのへらへら笑顔。
「別に、何も」
 エアーも相変らずの無表情。
「そっすか」
「はい」
 相槌に相槌。少し無言の視線をぶつけ合って、先にエアーが目線をそらした。
「朝日、目に刺さるのでカーテン閉めても結構ですか?」
 けらっとピークが笑って指を鳴らす。
「つーか寝なさい。あと二、三行で終わるんで先に横になっときなさい。ノワールが文句言いに来る前に、っすね」
「ああ……」
 エアーがおとなしく立ち上がった。
「そう、ですね。さすがにごまかしがきかない。明日は外に連れて行く約束です」
「あはは、懐かれたもんすね」
「本当に」
 とはいえ、なぜか嫌そうでもないエアーだ。部屋に備え付けのベッドに横になると、本当にすぐ寝息を立て始めた。
「俺もすぐ寝ます、っつー前に寝やがりましたね。ったくもー」
 疲れついでにやけくそで呟いて、ふとピークは気がつく。一度報告書の続きを書こうと落とした目線を上げて、ベッドに横になって眠るエアーを見やった。――素直に寝たな、と。
 ピークは頬杖をついて軽く失笑。
(悪夢見なくなったんすかね)
 二十四の天魔の獣たちがエアーの夢に現れて責め立てるのだという十二番目の月は今夜で最後。明日からは一番目の月が昇る。真っ白くて明るくて――まるで夜の陽のような月だ。
(つっても、現実の悪夢はこれからっすよ、エアー。これもお前が選んだ道っすから)
 セイト・ウィアズとカタン・ガータージ以外に向けた手紙がある。配下の諜報員たちに情報操作を指示したものだ。
 できるだけエアーの悪評を広げるようにした指示書。
 エアーに悪いなとかは思わなかった。ただ“必要だからそうした”だけ。自分を繕わないエアーのことだから、きっとひどい言われようになるのだろう。
 望んだのはエアーだ。
 口に出さずとも、なんとなしに思った。
 望んでいた結果に、きっとなる。
 自分にも、エアーにも――おそらくクォンカ・リーエにとっても。
 誰かや何かを犠牲にしてでも利益をとる。有益をとる。望む形を手に入れる。それが“高等兵士たちの罪”。
 誰に非難されても止まることのない罪。罰せられることのない罪。
(だからつって、望んで足突っ込むなっつーの)
 指示書だけ完成させて封をしてからピークは机に突っ伏せになった。
 朝日が入り込む部屋。あたたかな時間が流れる病院の一角、静かな部屋の中で二人の罪持つ高等兵士が光に照らされて、今年最後の朝日を見もせずに眠っていた。
 ただ静かに。光に包まれたまま。夢も見ないほど深く――ただ、深く。
  
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