105.失われた帰路に

   コツンと一度だけノックして、エアーは無遠慮に院長室に入る。
 入って一歩目で足を止めた。ピークが指を鳴らせばエアーの背中でドアが自動的に閉まる。
 部屋の中にはピークの他に三人の姿。真ん中のテーブルにはピークとイオナと、イオナの婚約者であるモーガス。テーブルの横には直立したまま少し俯いたホルン。
 エアーは顎を上げてピークを見下ろした。ピークはへらへらと笑っていた。
「呼んでいると聞きましたが、お邪魔ですか」
「邪魔なわけないっしょ。こうして皆呼んでエアー待ってたんすから」
「そうですか」
 エアーは感情を込めずに答え、腕を組んだ。
「それで、どうしてこの人数ですか?」
 ピークはテーブルの頬杖をついてへらへらと。
「尋問用っすね」
「ですか」
 やはり淡々と。エアーは答えて腕組みを解く。ピークの隣に空いている椅子をピークが示すので、エアーは無言で従った。
 何も言わないまま椅子に座ればイオナとモーガスと対峙する形になる。「んで」とピークが至極軽い口調で続ける。二人の他の声はない。
「ヌガラはあの時いたんすよね?」
 ――ヌガラ、とエアーは胸中で繰り返した。聞いたことのない名前だ。
「……はい。でも」
「ヌガラは白だといいたいんでしょうが、それをお前が主張する必要はありません。それに関しては俺たちが判断するだけです」
 ピークはゆるい口調でイオナの言い訳を切り捨てた。
「ヌガラは悪い奴じゃあないんです。そりゃ皆にさんざに言われてますが、そりゃあ私が悪いだけで」
 みっともなくぼろぼろと泣きながら告げたのは、イオナの隣に座っている男、モーガス・テン。がっしりとした――というよりちょっと太った体格で、人が良さそうな顔をくしゃくしゃにして泣いている。
「私があんまり頼りないんで、頭のいいあいつが庇ってくれてるんです。それを狡猾なんて、酷い言いようです」
「そうっすか? やったことは狡猾っすけど」
 やはり軽くてゆるい口調でピーク。笑顔のままだ。
「あの葉を見つけそうになったホルンにミルク、飲ませたっしょ。それも薬の原液が混ざってたはずです」
「ミルクは、確かに差し上げました、けど」
「ミーシャからの命令、知らなかったはずはないっすけどね?」
「あああああああれは、悪いもんじゃないですしっ」
「悪いものなので摂取を止めてます。信じられないのなら、それを証明してみせなさい。おそらくヌガラ自身も研究してるでしょうし?」
 モーガスから涙だけではなく汗がにじみ出した。――あの話は本当なんだな、とエアーは無感動に思う。ファルカに着いたあの日、再会したイオナが幸せそうに言った。嘘をつけるような人でもなくて、一緒にいないとコロコロとどこかに転がって、穴にはまってしまいそうな人なんだと。
 なんだその表現はと思ったけれど、本当にそうなのだろう。イオナがモーガスの手をぎゅっと握った――転がって行かないようにと。モーガスよりもずっと強い意志のある瞳でピークを見返す。
「でも私たちはそれを知りません」
「そっすか」
 へらへらと笑ったまま、ピーク。
「らしいです、エアー。どうします?」
 視線も送られずに問われて、エアーは一間おいた。おいて、唐突に立ちあがると一瞬で剣を抜いた。モーガスの首寸前で剣を止め、睨む。
 モーガスががたがたと震えている。硬直できるほど恐怖への抵抗力がないのだ。
「正直に答えろ。本当に、知らないのか?」
 知らないだろう、と思っていた。分かっていた。おそらくピークも。
 モーガスの身体をぎゅっと抱き寄せて、イオナがエアーを睨んだ。
「知らない!」
「もし嘘だったのなら、首を飛ばす。昔の俺と同じだと思うなよ」
「知らない! ヌガラは普段仲間と同じ場所で暮らしてて、ほとんど帰ってこないから!」
「何度か帰ってきているんだろう。ヌガラは何を企んでる」
「知らない……! 何も、わかんない! この人からあの葉を奪って有効利用するって言って、いなくなって……それから、いつのまにか盗賊たちの、リーダーみたいに、なってた……!」
 イオナの様子をみて、モーガスは震えながらもどうにか動こうとしている。自分でも情けないと思うのか、震えるだけでなく恐怖だけでない涙がぼろぼろとおちている。
 情けない男だとエアーも思ったけれど、否定する気にはなれなかった。これも世界の一面だ。
「それで?」
 エアーは短く問い、動きを止めた。イオナを冷たく見下ろしたまま。イオナは唇を噛んだ。
 息が詰まるような沈黙が部屋に流れた。物音ひとつ立てただけで全てが崩れて、何か恐ろしいものに変化してしまいそう。
 ふとしてエアーが剣を持つ手に力を込めた。イオナがモーガスを抱いて目を閉じる。
 二人を見下ろしながらエアーは考えた。まるで世界を窓の外側から見ているようだなと、至極冷静に。
 愛だとか、友情だとか。
 既に自分には無用なもので、こうして立つ、今が大事なんだと。たった今だけが大事。未来も、過去も、すでに自分には必要ない。
 暖かい言葉も、優しさからくる態度も、どれも自分には似つかわしくないと思ったけれどやっぱりその通りだ。
 だってそんなもの、自分は持っていないから。
「お前たちは『白』なのか?」
 単刀直入に問う、エアーの声にイオナが目を閉じたまま頷く。モーガスを抱く両手に力がこもって、ぎゅっと握った。
 ふん、とエアーが短く鼻で笑う。
「全くの『白』じゃないはずだ」
「……知らないのは、罪、なの……?」
 消え入りそうな声でイオナが答える。エアーは無言で少し、眉を上げた。
「罪だ」
 淡々と、エアーが答える。
「知らなければ許されるのか」
 数秒、イオナを見下ろして後、エアーはピークを見る。ピークは何も言わずゆるい格好で深々と椅子に座っていて、お茶や茶菓子があったら迷わず食べていそうなほど傍観していた。
 傍観していたからこそ、エアーは剣を鞘に戻す。表情はないまま。
「だから教えておくよ、イオナ。俺に軍を抜けろと言ったけど、俺には辞めて行きたい場所なんてない。休隊になっても軍に戻ったのはたしかに、イオナやみんながいた場所に戻りたいからだった。だけど俺が戻りたいと思った場所は今はもうない。戻ったときには、生きたいと思っていた場所がなかったんだ。
 今イオナが生きてて幸せそうだとしても、それは俺の生きたい場所じゃない。だから王国軍に帰るよ。俺の行きたい場所も、生きる場所も、そこにしかないから」
 淡々と、まるで棒読みのよう。けれど確かに真実の籠る声。エアーは少し落としていた視線をイオナに据える。感情のない瞳。
「だからイオナも、必要なら斬る」
 ――いつの間にか、しゃくりあげる声が聞こえてきていた。モーガスの涙は止まっていて、今度はおろおろとイオナの手を握り返している。
 何が悲しかったのか、エアーにはすでに分からなくなっていた。イオナが途中から泣きだしていたけれど、理由が分からず最後まで告げた。前に別れを告げた時も、イオナは何故か泣いた。
「ごめんなさい、エアー高等兵士」
 高等兵士と言う響き。何故か脳裏に暗い響き。
「でも、本当に……私たち、事情がよく、飲みこめてない、んです」
「そう、ですか」
 お互い、妙に白々しい敬語。
 いつの間にか違う道を歩いていた二人。一緒に歩いた道が心地よくて戻りたくて、少し歩み寄ったけれど、今歩く道はそれぞれ違う。こすれた二人の道が痛みをはらんで知らせた、決して平行線にはならないのだと。向かう場所が違う。行きたい場所も、見たい風景も。
「なら俺は構いません。首謀者だというヌガラという人物をおそらく処分しますが、その覚悟だけ、決めておいてください」
「……はい」
「あの、どうか、ヌガラの命は……」
「それは本人が決めることです。たとえ家族であっても、本人が決めたことに口出しは無用です」
「それでもどうか、助けてくださることはできませんか」
 モーガスは怯えたままエアーに乞うた。エアーは冷たく一瞥した。
「覚悟を決めておいた方がいいかと」
「そんな……っ」
 茫然とした、モーガスの表情を見て後。
 パチン、とピークが指を鳴らした。
「はいはい、それじゃそういうことにしましょう。エアーにはあとで全部事情知らせます。モーガスさんとイオナさんについては、病院で軟禁っすね」
「ここで、ですか?」
 指を鳴らした音で空気が変化したかのよう。エアーはピークに首を少し傾げて問うた。ピークは相変わらずのへらへら笑った顔のまま、「はい」と。
「ここが色々と安全なんすよ。なんでホルンは元の場所に二人を連れてってください」
「……はい」
 ホルンにしては暗い返事。エアーはホルンを見やったが、ホルンはエアーを見ないように背を向けて歩き出した。二人を促して部屋をいそいそと後にする。多少気になりはしたが、エアーは追及しなかった。

「それで」
 エアーはホルンを一瞥してピークに振り返った。
「こちらの結果は、出たものと思って結構ですね」
 ピークはへらへらと笑ったまま「はい」と軽く答えて指を鳴らす。
「まず俺がルタトから要請されてた件――不明な草の件についてですが、思考能力を麻痺させるやつでした」
 言い出しも軽い。エアーはふんと鼻を鳴らすと、先ほどまでモーガスが座っていた椅子に腰掛ける。ピークとは向かい合う形になる。
「で?」
「その草をっすね、なんと飼葉に混ぜて牛に食わせてたのが、モーガスです」
 エアーは相槌を打たなかった。ピークは構わずに続ける。表情はニヤニヤともへらへらとも見える笑みのまま。肘を軽く机についた。
「怖いところはっすね、その薬草、成分が身に染み付くんすよ。飼葉に混ざって身に成分が染み付いた肉やミルクがファルカに流通してました。なんでファルカで唐突に思考を停止した人間がちらほら出てたんすよ。
 被害の中心は孤児院っすね。モーガスん家から直接孤児院にミルクが寄付されてたんすよ。その他は肉からです。ファルカで一番人気のあるロハスっつー料理屋に買い取ってもらってたらしいので、そっからっすね」
「へえ」
 聞いているのか聞いていないのか、エアーの相槌もピークの笑顔並みに軽かった。――自分も先日ロハスに行っているにも関わらず、だ。
「治療法としてはっすね、今画策されてるのは逆に――っと、興味なさそうな顔っすね。まぁ、そこらへんはこっちの仕事なんで、エアーは気にしないでいいです」
「はい。ミーシャさんとルタトさんのお二人に任せれば間違いないでしょう」
「そっすね、任せてやりなさい。で、エアー。お前もロハス行ったっしょ」
「はい。俺は肉もミルクも摂っていませんが、一緒に行ったノワールとユエリアさんのポアルに肉団子が入ってました。注意するなら二人です」
「お前何しにロハスに行ったんすか」
 けらっとピークが笑った。机に肘をついている手でパチンと指を鳴らした。
「わかりました、ルタトに言っときます。んでちなみに上官のお前に教えておくっすけど、ホルンはロハスで肉も食いましたし、さっき話しにも出てたとおり原液入りのミルクも飲んでます。たぶん身に染み付いてるんじゃないっすかねぇ」
「そうですか」
 エアーの返答は至極淡々としていた。ピークは胸中で少し舌打ちした。もう少し動揺するかと思っていたから。
『解決法、教えてくれ。お前ならわかるから』
 同じ第一大隊の騎士隊長ミレイド・テースクに無責任に肩を叩かれてここまできた。ミレイドは急変したエアーの対処がわからないらしい。
 帰ったら教えてやろう、対等に相手にしてやれと。今までが甘かったのだと自分で理解して、引き締めただけだと思えばいいんだと。
 冷たい言いようかもしれないけれど、こんな人間が一人ぐらい王国軍にいていいとピークは思っていた。
 守れ、守れという。それこそが王国軍である誇りだと。
 なら一人ぐらい、別の場所に誇りを持つ人間がいていいと――特に今の第一大隊になってから思っていた。
「はい。それについては後で考えましょう。今王城の資料庫でビジカルが対処法を探してるところです」
 思考について、ピークは悟らせなかった。そういう人間だった。
「んじゃ次は賊についてっすけど。エアーはファルカ来て初めて会った賊の顔覚えてますか?」
「はい、三人。うち二人はすでに死亡済みです」
「あれ? どっかで殺しました?」
「はい。その日に捕まえた賊がいたでしょう。彼らを解放しようした賊の中に二人がいましたから。抵抗したので、死んだはずです」
 片方については首が飛んだので確実に殺したと、エアーが淡々と答える。
「あぁ、あの日っすか」
 ふーん、と答えたピークにも感情があまり入らなかった。まるで二人で天気の話でもしているかのようだ。もし部屋の中に別の人間がいたら“異様”だと思うだろう。だがエアーもピークの返答に、訝りを感じることもなくなっていた。
「残り一人の顔も覚えています。三人のうち、首領格」
「そうそう、それっす。あいつがヌガラです。どことなーくモーガスに似てません?」
「どこも似ていませんが?」
 表情も変えずに即答。ピークは何が面白いのかけらけらと笑った。
「まぁ、モーガスは丸っとしてますが、あれはもやしみたいでしたもんねぇ。まぁ書物に齧りつく学士なんて結構あんなもんです」
「学士」
「はい。学士です。モーガスが飼料に混ぜた草の効果について発見して、モーガスから草を丸ごと取り上げた人物です」
 エアーは記憶をたどり、少し鮮明に『ヌガラ』を取り出してみた。エアーたちが王国軍だと見抜いて大声で周囲に教えた、あの食えない男。
「似てませんがモーガスの実の弟です。あの草で“化け物”って呼ばれてたアレ、従順にさせて賊ん中での地位を確立しました」
 面白いところはっすねー、となぜか楽しげにピークは続けていく。
「一番声が大きい人物の言いなり、っつー法則があるところです。なんで今の賊の頭はかなり声がでっかいんすよ」
 やはりなぜか楽しそうだ。エアーは少し眉を上げて見せる。ピークの楽しみは理解できないので、乗る気はまったくない。
「へえ」
「まぁお前の速さだったら二、三匹同時でも倒せるっしょ。ホントエアーでよかったっすねー、あと俺と。じゃなきゃあの“化け物”がいるとこに乗り込めなかったっすよ」
「ピークさんも平気ですか」
「はい。俺だったら不意打ちでも返り討ちにできる方法があります」
 ワイズとかアタラとかじゃなくてよかったと、やはり軽く告げるピークをエアーは半眼で見た。この自信はどこからくるのか。
「んで、賊の討伐に関してはエアーに任せます。俺も他のやつらも好きなように使ってください」
「そうですか」
 エアーは腕を組んだ。
「なら、王国軍の面子は全員賊討伐。病院はルタトさんがいれば充分なんでしょう」
「そっすね、平気でしょう」
「ならお任せします。賊の本拠地の地図はありますか? 配置を」
「はい、はい」
 ピークがぱちんと指を鳴らせば幻の図面が現れる。エアーは眉も動かさずに図面の一部を指差して場所の詳細を訊ねる。ピークも当たり前の顔で答えて――エアーが即断した配置に、ピークは意見も言わずに従った。
  
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