103.隘路を覗いて

   ちょうどエアーがファルカから離れた頃、ウィアズ王城の高等兵士寮に激しいノック音が響いていた。ノックされているのはクォンカとノヴァの部屋だ。たたき起こされた二人は、少し唸りながらドアを見やる。
 身軽にベッドから降りて、クォンカ。
「何の騒ぎだ?」
 問うた先は相部屋のノヴァ。ノヴァは無言のまま、半身を起こした状態で頭を抑えていた。無言で外の喧騒を聞いているだろうことを、クォンカはなんとなしに理解した。
「クォンカ高等兵士!」
 名指しされてクォンカはドアを改めて見やる。聞いたことがある声だ。だがなじみある声ではない。
「第二魔道士隊隊長ピーク・レーグンの命でまいりました、ビジカル・スティーです。お目通り願います!」
 名を聞いてクォンカは瞠目した。ピークは今王城にいないはずの名だ。クォンカはすぐに剣を一本、手に取る。ドアをじっと見つめたまま、極めて軽い口調で返答する。
「ピークの副官のビジカルか?」
「そうです。無礼を承知で言いますが、こちらとらライディッシュに乗せられて徹夜で王城まで帰ってこらせられたんです。余計な駆け引きは御免願います」
「なんだ、ピークにしちゃあ珍しい。お前の体力を減らすか」
「えぇ、はい。どっかの大馬鹿や……目立ちやすい高等兵士様がいなくなるから自分はファルカから動けないそうですよ! ……馬鹿なものは馬鹿でしょう、俺は認めませんよ。教士、あんたはたまに甘すぎるんです!」
 後半はまるで独り言だ。クォンカは持ち上げた剣をことんと同じ場所に戻した。
「二〇歳もさばよんだ方が今更おっしゃいますかっ。いいですか? 何度言わせりゃ気が済むんです、俺は、あんたと、三つしか違わないんだ、つってんだよ!」
 たぶん疲労困憊なのだろう、思考回路にも及ぶほど。クォンカはくすりと少し笑った。部屋の反対側で大きく伸びをしたノヴァは「あーあ」と。
「間違いない。ビジカルだ」
「おう。ピーク以外にもキレてるビジカルはめったにないぞ、どれだけボロボロか楽しみだな」
 クォンカは気軽に部屋の鍵を外してドアを開けた。開けると急にビジカルが黙っていた理由が分かった。
 クォンカの副官オリエック・ネオンがビジカルの口を塞いでいる。顔はいつもどおりの白々しい笑顔。
「おはようございます。ビジカルのこと一度休ませたほうがいいって言うなら、今休ませますよ?」
 クォンカは苦笑した。ドアから離れついでに片手をあげると、オリエックが満足そうに頷いた。クォンカの合図は『やめておけ』で、オリエックは実によくクォンカの無言の合図を理解する。
「あぁ、これ、本当にビジカルですよ。おはようございますノヴァさん」
 白々しい笑顔のまま、クォンカの無言の促しに従って部屋に入りながらオリエック。ビジカルの口を塞いだまま部屋の中に入ると、ドアが自動で閉まった。
「根拠は、あの……なんとかっていう召喚獣だろう。ピークにしか召喚できないらしいな」
「らしいです。ほらドアもビジカル、だよね?」
 にっこりと笑顔でオリエックがビジカルを解放すると、ビジカルは少し恨めしそうにオリエックを見た。「容赦してくれ」と小さな声で呟く、声はいつのまにか冷静だ。
 ビジカルは朝の準備を始めるクォンカとノヴァを見やって、少し姿勢を正した。ぼろぼろになっていたローブを少し直して、背筋をピンと伸ばす。
「……見苦しいところをお見せしました。ちなみに教士の使役召喚獣はライディッシュです」
 ちなみにビジカルもクォンカとの付き合いは短くない。礼はとるが、クォンカの魔法に対する苦手意識は諦めていた。やはり剣士は剣士、魔道士は魔道士だなと諦めている一人である。
「それと時間がもったいないとかで俺が飛ばされただけで、危急ではないかと思います。ただし急ぎではありますが」
 ビジカルが告げて一息ついた、一間。オリエックはビジカルから少し離れて何気なくドアに鍵をかけ、ドアの傍の壁に寄り掛かる。
「エアー・レクイズ……高等兵士のこと、なんですが」
 ビジカルの言葉にピクと、クォンカは眉を上げて答えた。無言のままに。
「今までクォンカ高等兵士の隊で三班長だとおっしゃっていましたが、正確にはどの位置で戦いを? あとは小規模戦で陣頭指揮取られたことありませんか?」
「戦いの時はだいたい俺の傍だな。くっついてくるのが面白いからわざとそうしてきた。小規模戦ならよく飛ばしたな。あいつだけ無駄に機動力がいい。隘路でも相手の予想を上回れる」
 ビジカルが返答を聞いて、黙った。懐から黒い玉を取り出して剣呑な視線で見つめている。クォンカは眉を動かさなかった。
「どうだピーク。欲しい情報はあったか?」
『機動力っつーとこすかねー。じゃあ次の日には目的地についてますね。で、』
 無言で黒い玉を持ち上げているビジカルの心情はおおそらく『最初から自分で言え』。とはいえ魔法の力で声を通すこの魔具。簡素に創られただけのものでは、魔力を注ぐ人間が外側に聞こえるように操作しなければ外に聞こえない。
『カタンの副官のあれ、城からいなくなった時期って分かります?』
「おう。お前らが出発する七日前だ」
『なるほど。じゃあただの考えなしか、先読みされてたわけっすか』
「何を言ってる。あいつのことだ、ファルカの権威なんぞ考えもせず突っ込ませる気だったろう。まあお前が止めてなきゃ俺でもそうしたな」
『あはは。隣でカルファシエが“くそくらえ”つってますよ。なんでこう、魔道士は口が悪い奴ばっかりっすかねー』
「語彙が増えてるだけだ。こっちは楽なもんだぞ、何かあれば喧嘩するだけだからな。対人訓練にもなる」
 気軽に笑う二つの声。
 朝の支度をしながら聞いていたノヴァが頭が痛そうに嘆息した。
「うちはそんなに馬鹿じゃない」
 一応主張。クォンカの笑いを余計誘っただけだった。
 ドアの近くで白々しい笑顔、オリエック・ネオン。
「クォンカさん」
 呼ばれてオリエックの顔を見て、クォンカは笑いを止めた。
「あぁ、飯の時間か。ピークのふざけに付き合ってる場合じゃないな」
『あぁ、そんな時間っすか。悪かったっすね』
「おう。で、順調に終わりそうか?」
 クォンカは人に好かれる笑顔で問うた。問うたが、ピークなら順調でなくとも解決できるだろうと思っていた。――おそらく無理矢理にでも解決するはずだ。リセ麾下で長い付き合いになっていたので分かっている。ぼろぼろでも成功の領域になんとか不時着させられる人間だ。
『終わらせます。ただお前らに恨まれるのはいやだなーと、少し思ってたぐらいです』  お前らの恨みは怖そうっすからね、と軽い口調でピークが答えたのに、クォンカは笑った。
「エアーは無事に帰せよ。帰さなかったら恨むぞ。特にノヴァな、気が気じゃない顔だ」
 クォンカは笑顔のまま。ノヴァが黒い玉を見やった。
「思わせぶりな言い方はよくない」
『あはは』
 へらへらと笑う顔が浮かぶくらい軽い笑い声だった。
「で、エアーはどこにいったんだ? 援護がほしけりゃなんとかしてやらんこともないが」
『やー、それが知らないんすよー。勝手に出てきやがりまして。だから恨まれるのが嫌だなーと』
「なんだ、それなら平気だ」
 クォンカ。考える素振りもない。
 腕を組んで黒い玉に語りかける。黒い玉を持っていたビジカルが眉を上げて、オリエックはひっそりと笑いを落とす。
「あいつなら上手くやる。その程度じゃピークを恨む理由になんかにならないな」
 一間、沈黙があった。


 ビジカルが持つ黒い玉の対がある場所――ファルカ中央病院の院長室で、沈黙を破ってげらげらと笑い始めたのはピークだ。もちろん笑い声もウィアズ王城にいるクォンカたちに届いている。
 げらげらと腹を抱えて笑いながら、片手を挙げるとぱちんと指を鳴らす。
「なるほど! じゃあ俺も信じてやらなきゃならないじゃないっすか!」
 笑いを治めながら黒い玉を眺め、ピークは目を細める。
「お前と組まなくなって残念だなと思うのは、結構こういう部分です。その代わりお前ん弟子をとことん使ってやります」
『おう、ほどほどにしておけよ。まあ俺も散々使ってきた奴だ、弱音は吐かないだろうがな』
 クォンカが軽く『じゃあな』と言った。するとブツン、とノイズが入って通信が途切れる。この途切れ方はおそらく、ビジカルが気を失った故のノイズだろうとピークは思う。我ながら無茶をさせたかなと思ったけれど、あまり同情していない。数時間後には叩き起こして仕事をさせるつもりだ。ビジカルでなければ資料の山から必要なものを取り出せないだろうから。
(とはいえ……)
 短く嘆息してピークは窓の外を見やった。
(エアーは何をやらかすつもりっすかねぇ……)
 ピークの胸中の呟きの答えが聞こえてきたのは翌日のことになる。早さにおいて、エアーはピークの予想を上回った。
  
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