プロローグ
     未来への予想図

  「戦争前に、よく酒が飲めるね」
 ウィアズ城城下町の酒場の主人――フェリットが呆れたようにカウンターに並ぶ三人に声をかけた。三人とも他国にも恐れられる、ウィアズ王国軍の高等兵士だった。
 一人はカウンターに突っ伏せになって、もう二人は普通に酒を飲んでいる。突っ伏せになった一人は、顔を伏せまま片手を上げて「連れてこられただけです」と、死にそうな声で言うのだ。
「さんざ言ってるじゃないっすかね、匂いだけでもダメつって」
「匂いだけじゃ普通酔わないはずだよな。……このザルとは正反対すぎるよ」
 真中に座った一人が、うんざりといった様子で応える。紺色の髪を持つ、見た目どこにでもいそうな男だ。だが彼も高等兵士を一〇年以上勤める騎士だ。名前をミレイド・テースク。
「これでも、ガキのころよりは飲まなくなった方だぜ。だいたい、俺より飲む奴いるしよ」
「ぶっ倒れなくなっただけじゃないんすかね。飲む量は増えてると思うっすよ、実際見てたわけじゃないんですが」
 突っ伏していた男が顔を上げ、反対側に座る男を半ば睨みつけた。透き通るような綺麗な青紫の眼を持つ、青年のような男だ。三人の中で一番の年上でありながらいつも年下に見られるが、誰よりも高等兵士が長い初代魔道士隊長である。名前をピーク・レーグン。
「だいたい、俺じゃなくて、カラン連れてきた方がよかったんじゃないんすかね。いっつも一緒にいるくせに、なんで今日に限って俺……」
「だってよ、カラン飲むとすぐ寝るから面白くねぇんだって。連れて帰んの結構大変なんだぜ?」
「俺も倒れてやります」
「カランが寝起き悪いからだろ? はっきり言ってカランとだったら……俺も気が滅入るよ」
 ミレイドは大げさに両手を広げ、嘆息してみせる。「な?」と、ミレイドの横に座る男が相槌をうった。世界でも奇異とされる赤紫の眼を持つ男だった。三人の中で一番の歳下だが、彼も同じく一〇年以上の高等兵士暦を持つ。高等兵士暦のほとんどを第一大隊の総司令補という役職で勤め、他の二人と組み、地上隊を率いてきた剣士だ。名前をエアー・レクイズ。
 エアーは「それに」と、手を口に当てて言う。
「今日は、他の遅く起きてそうな奴ら連れて遊びに行って来いって頼まれたからな……」
 ミレイドは顔を歪めて、「は」と訝って声を上げた。他の二人ならまだ分かるが、ミレイドに「遅くまで起きる」というレッテルが張られた覚えはない。
「俺もお前らと一緒の、遅くまで起きる部類に入れられたのか?」
 エアーはしれっとして。
「あぁ、今日起きるつもりだったろ?」
「まってくれよー。俺だって明日出発なのに無茶しないって」
「そりゃ、結構ありえなかったんじゃないっすかね」
 同じく、しれっとしてピークが言う。不機嫌そうに半分だけ開いた眼で虚空を見やり、頭を荒荒しくかいた。酒気ただよう空間で、魔力が渦になってしまっている。――気持ちが悪い、酒にはどうして何かを狂わせる力があるのか。
 ミレイドが、今度は開き直った。
「それじゃあお前ら、いつ死ぬかもしれない人生に、少しの花を持ちたくないのか!」
「全然」「ねぇし」
 エアーとピークが続けて即答する。ミレイドは妙なところで気を合わせる二人に脱力して、眉間を抑えた。
 ピークは主人が出してくれた水を持ち、短く自嘲するような音を出した。
「だいたいっすね、俺が誰かを愛したら不幸っすよ」
 言って、水を飲む。
「前、リセがいってたこと大当たりです。どうせ俺しばらく死ぬ気ありませんから、この姿んまま――」
「相手が老いて死んでいくのを眺めるのが辛いんだろ?」
 エアーが覗きこむように続ける。ピークはエアーを見やり、小さく頷いてけらけらと笑う。酒を飲んではいないのだが、軽く酔ってしまっているらしい。いつもは余裕を持ってへらへらと笑っている男が、真面目に笑っているのだ。
「あたるっすねぇ。なんすか、今日はエアー俺の代弁者っすかね」
「同室をなめんなよ、お前の歳の取らなさは、俺が証明してやる」
 言うと、エアーもけらけらと笑った。
 ミレイドは二人の真中で、酒を持ち上げて、嘆息する。頬杖をつき、一口酒を飲んだ。
 こつん、とエアーの頭の上に透明なコップが置かれた。エアーは少し頭を下げて「フェリットー」と抗議の声をあげる。
 フェリットは、水の入ったコップをエアーの頭の上からどけて目の前に置いた。腕を組み、カウンターの向こう側で嘆息する。
「できあがりすぎだよ、その酒いつまでも飲むと思ったら。明日出発するんだろう、いくらあんたでも、それくらいにしときな」
「いんだよ、酔ってても馬乗れるし」
「出発の時に足元ふらついたらどうするつもりさね、本当にバカなんだからね」
 エアーは顔を上げ「いんだよ」と繰り返し、またけらけらと笑う。「どうせマークがうまくやってくれるって」と、普段なら到底言いそうにもないことを言ってのけた。
 ミレイドは「あーあ」と声をあげて、自分の酒を置いた。
「俺もそろそろ飲み上げ。出発の準備まだ残ってるし、俺の酒の度倍の酒、平然と飲む奴隣にいるのはもうこりごりだ」
 エアーはミレイドを見やって、やはりけたけたと笑う。
「準備なんてとっくに終わらせてるんだろ?」
「寝るっていう準備が残ってるんだ。お前らと睡眠時間一緒にするな」
「そりゃそうだ。でも俺だってピークと一緒になんかして欲しくないぜ」
「うるっさいっすね、歳だっつってるじゃないっすか。だいたい、三〇分やそこら、ほとんど変わるもんじゃないと思うんすけどね」
 カウンターの向かい側に立つフェリットは頭を抑え「なんだい、こいつらの会話は」と呆れたように嘆息する。
「高等兵士のする会話じゃないよ……まったく」
「フェリット、もう一杯っ!」
「やめろっつったら止めるんだよ!」
 フェリットはきっと、エアーを睨みつけると、拳で思いきり頭をたたいた。カウンターに前のめりになっていたエアーは、殴られた拍子に顔をカウンターにぶつけて、何かつぶれたような音を発した。
 エアーは顔を上げると、同じく顔を抑えた。
「いってぇ……」
 頭より顔の方が痛かったらしい。ピークは腹を抱えて笑っており、まだ素面のミレイドは苦笑を浮かべ「大丈夫かー」と小さな声で言っている。当のエアーはぼんやりと、眼を閉じて「でもよー」と、まだ何か言いたいらしい。
「戦争行くのも楽じゃねぇんだぜ? どうせ一度出たら酒なんか飲めねぇし、最後ぐらいいいだろっての」
「おい、エアー。熱あるんじゃないのか?」
 ミレイドは至極深刻そうに、エアーの顔を覗いた。額に手を当てて「あるぞ」と真顔で言うのだ。
 ミレイドの隣で、またピークがげらげらと笑う。
「酒飲んでるんすから、当たり前じゃないっすかね。さっきやられたんで、俺が、エアーの代弁してやります」
 ピークはにやりと笑い、二本の指で指を鳴らした。ミレイドは口の中で「あ」と苦笑と浮かべて頭をかいた。
 ピークの反対に焦ったのはエアーだった。完全に酔いが冷めたらしく、抗議の声をあげたが、時はすでに遅い。
「今回の反乱のウイセン村に、片恋相手がいるんすよ、エアーは」
「ピークっ!」
「この奥手バカは、鎮圧戦争に出るのが嫌で嫌で溜まらないー、くらいじゃないっすかね」
「ちがっ!」
「それとも、この時期っすかね。スノータイラーつくあたりは……十二番目の月、始まったあたりっすか」
「どっちだっていいだろ!」
 エアーは叫ぶと、頭をかいて「ったく」と嘆息交じりに声を吐いた。
「どっちも当たりだよ、わざわざ言うことねぇだろっつーの!」
「俺のもわざわざ言うことなんかなかったはずっすよね」
 ピークは半眼でエアーを見やって、口の端を上げて見せた。エアーは口を閉じ、片手を上げる。
「悪かったよ、酒の勢いだ」
「ちょっと待て、まさか、全部本当だっていうのか?」
 ミレイドが声を上ずらせて二人を交互に見やる。エアーもピークもしれっとしてミレイドをみやり、同時に「あぁ」と応えた。
「二人とも、本当に熱があるんじゃ……」
「失礼っすよ、ミレイド。今度ナーロウさんに告げ口してやります」
「ゾークでもいんじゃねぇの? 種類同じだし」
 ミレイドは大きく嘆息する。二人とも性格が冗談じみているから、本気なのか、冗談なのかの判断がつけにくい。ピークのへらへらとした笑いは、内部の厳しさを隠すためと自己のためだということは一部の高等兵士たちには有名なことであったし、エアーの性格に隠された影は、古参の高等兵士だけなら誰でも知っている事実だ。だが、二人ともたまに本気だからどうしようもない。
 眉間に手を当て、「いいさ」とミレイドは呟いた。
「二人ともそんなゴシックネタを隠し持ってたなんてな。知らなかった。他言する気ないから安心してくれよ」
 三人の会話が途切れた。エアーもピークも「それはありがたい」とフェリットが出した水を飲んで、軽く酒気を飛ばす。ピークの場合は、酒の匂いに耐えるためであったのだが。
 酒場を離れ、暗い城下町の道を三人出歩きながら、再び会話が再開される。空は晴れ、黄金に輝く星と、十番目の月が競い合って輝いていた。
 ピークが指を鳴らし、三人の目の前に光源を出現させ、辺りは暗闇に閉ざされる。
「未来のことを考えれば虚しいけど、二人とも夢とかないのか?」
 ミレイドは三人の真中を歩く。少し斜めになった列の中央でもある。
 ピークが少し駆けて、ミレイドに追いついた。沈黙であるのに並んでいるのはばかげているが、話すときは、並ぶものだ。
「未来のことを言うとっすね、魔の獣が笑うっすよ」
 けらけらっと笑い、口を閉じる。
 エアーが歩調を合わせ、ミレイドの横に並んだ。
「最前線の俺たちが未来のことまで考えてんの、虚しくねぇ?」
 言い、やはりけらけらと笑って口を閉じる。
 ミレイドは少し目を細め「どうだか」と呟くように言う。
「終戦になったし、死にそうにないんじゃないか? 特にピークとエアーなんか、絶対に死なない保証書でもついてそうだ」
「うわっ、軽く侮辱したっすね」
 ピークがまた軽く駆け、少し姿勢を低くしてミレイドの顔を下から覗きこむ。
「ミレイドだって死にそうにないっすけどね」
「俺は死ぬ気がないからな」
 ミレイドは微かに息を吐き出して笑って見せた。薄く浮かんだ笑いは、自信とかいったものよりは不安を隠しているように見える。
 ピークが姿勢を正すのを待ってから、ミレイドは続けた。
「俺は夢があるんだ、町を作る」
 薄らと目を閉じ、前を傍観する。笑顔を浮かべた顔は、ピークの作り出した光源に照らされて美しく輝いているように見える。
「高等兵士は、引退してからもしばらく、貴族級の身分だろ? つまり、町を作ったって法的にも違反しないし、俺が領主たれば、町の安全は大丈夫さ」
 ピークはけらけらと笑った。ローブの中に両手を隠し、微かに夜空を見上げる。
「いいっすねぇ。ミレイドが作るなら、一回遊びにでもいきます」
「それはありがたい、歓迎するよ。俺の後輩だっていってね」
 ピークは聞くと、複雑な顔でミレイドの顔を見やった。ミレイドは悪戯に笑い、ちらりとエアーを一瞥する。
 エアーはミレイドと目があうと、声を上げて笑った。
「応援してやるよ、暇だったらな」
「それはありがたい。エアーは何かないのか? 応援してやるよ」
「ははっ、俺にはねぇって」
 エアーは苦笑を浮かべ、手の平をひらひらと振った。話をそらすように、ピークを見やる。
「それよりピークは? 余生長いんだろ?」
 ピークはエアーを見やり、ニヤリと口の端を上げて笑う。高慢とも取れる、ピークならではの自信に満ちた顔だ。
「俺はっすね、召喚獣の世界を作るって決めてあるすよ。夢とはいえないっすねぇ」
 ミレイドとエアーは訝った。顔を歪め、二人同時にピークの顔を覗きこむ。二人とも魔法には疎い。
「召喚獣の世界?」
「それって、ここの世界とはまた別の場所に、最初からあるものなんだろう?」
「はい、そうです」
 パチン、と指を鳴らし、ピークは進行方向を見る。魔法の話をする時が、彼の顔が一番輝く瞬間だった。
「召喚獣っつーのはですね、この世界では自分の魔力で生きることができないんすよ。だから、自分の魔力で暮らすことのできる空間を作ってやります。ライディッシュと永く仲良くやっていけるのも、面白そうじゃないっすかね?」
 言い、ピークは愉快そうに声を立てて笑った。
 ライディッシュというのは、ピークの使役召喚獣であり、第二の親友であった。幼い時から魔法に熱を上げていたピークにとって、最大の理解者でもある。
「それで?」とピークはエアーを見やった。ミレイドも同じくエアーを見やったが、丁度城の城門へ来たところで、危うく門にぶつかるところだった。
 エアーは立ち止まり、不機嫌そうに顔を歪める。夜番の門番が外門を開けるのを待ってから、三人並んで自分たちの部屋がある高等兵士寮に向かって歩く。
「エアーは何かないんすか?」
 エアーは首を横に振る。問いを拒否するとでも言っているようだ。
「何もねぇって。俺は今が最高。死ぬまで王国軍にいるか、限界来たところで旅にでも出るつもりだよ」
「それを夢にしないってことは、本意じゃないってことだよな」
「あぁ、戦死するのが夢だ」
 エアーはさらりと言ってのけ、勝ち誇ったように鼻から息を出して笑う。ミレイドは急に険しく顔を歪めた。
「本気で言ってるつもりか?」
「さあ? そうだな、ミレイドが作った町に行くのもいいな、ピークんとこ遊びにいってやってもいい」
 言うと、自嘲するかのごとく肩を揺らした。
「いー! どれもいいって。俺の人生最高っ」
 きっとどれもこれもが本心ではないのだと、ミレイドもピークも思った。夢がないことも、戦死したいということも、全て。
 もう一度、ピークが指を鳴らした。空から黄金の粉が降り注ぎ、三人の頭上に降り注ぐ。自然と、沈黙が流れた。
 降り注ぐ黄金の粉を眺め、落ちて消えて行く最後までを注目する。エアーは目を閉じ、大きく嘆息する。いつのまにか、三人は高等兵士寮のすぐ傍までついていた。
「ウイセン村の……」
 ぼそり、と呟くようにエアーは口を動かす。
 顔を上げ、目を細めて虚空を眺めた。
「ウイセン村のユエリアさんに……もう一度会いたい。最近はそればっかり考える」
 くすり、と息を吐き出し、エアーは笑う。
「だから、夢なんてねぇって。考える暇なんてねぇんだからな」
 少しの間、沈黙が流れた後。
 三人は同時に吹き出して笑い出した。
「やっぱり奥手バカっすよ。こんな戦争でないで、とっとと迎えにいきゃあよかったんすよね」
「会わねぇからいってんだ! 言わせといてミレイドも笑ってねぇでよ!」
 ミレイドがエアーの胸を小突いた。
「お前、俺とは正反対」
「自分で真顔で言うな」
 エアーは真っ直ぐ、辛辣に突っ込んで、不意に目線の先に人の影を見つける。人差し指を立て、「シッ」と二人の声を止めた。
 エアーの目線をたどってピークとミレイドが見た先は、高等兵士寮の前にある中庭だった。ベンチが置かれた、ただの開けた場所だ。
 自然と三人とも立ち止まって、中庭からの死角から中庭を覗きこむ。
 ミレイドが声を潜めて言う。
「あれって、カランとアタラじゃないか? カランがこの時間帯まで起きてるなんて、出発なのに明日雨だよ」
 またエアーが「シッ」と人差し指を立てた。
 横でピークが「野暮野暮」と呟き、帰ろうと姿勢を正した。
 カランの声が聞こえる。エアーは軽く額を抑え、「あー」と声を発した。もちろん、声を潜めて。八割がた、カランにはばれてしまっている。
「寝るか、ミレイド」
 ミレイドも幾分の居心地の悪さを感じたらしい、顔を引っ込めて「そうだな」と応えた。
 ――まさか、キスするとこ見てたなんて、野暮の極地だし。
 三人とも何事もなかったかのように歩き出して、中庭を通りかかった。どうやら本意でなかったらしいアタラが、はたと我に帰って三人に怒鳴りつける。
「見てみぬふりしてないで助けろ!」
 助けるもなにも、逃げようと思ったら普通に魔法使って逃げられるはずだよな、と三人の思考が一致する。やはり無視を決めこんで、高等兵士寮の中へ入った。
 アタラはカランから必死で逃れて、自分も高等兵士寮へと走る。
 カランはアタラが最後に放った衝撃波の反動で頭を抑え、「うぅ」と唸った。逃げるアタラの後姿を眺め、しばらく会えないんだなぁ、と改めて思う。
「……エアー、そこにいるんだろ?」
 カランは頭を抑えて地面に座り込んだまま、うめくような声を出す。
「アタラ、寮のドア開けっぱなしだったし……」
「そういう問題じゃねぇって」
 エアーは暗闇の中から歩き出て、カランに歩みよった。カランの目の前で手の平を差し出し、掴まれと示唆する。
「帰んの早くて悪かったなー」
「別に、こういう理由で言ったわけじゃないから」
 カランはエアーの手に掴まって、ゆっくりと立ち上がった。頭を振って、余波を飛ばす。
 エアーの顔を見やると、「なぁ」と徐に口を開いた。
「今回の反乱鎮圧、本当に出て良かったのか?」
 エアーは口の端を上げ、顔に笑顔を浮かべて見せた。
「俺のことは心配いらないぜ、カランこそ、こんな別れ方していいのか?」
「絶対生きてるから大丈夫。で、戦争終わるころ。毎年とる墓参りのための休暇の時期だったはずだろ? そのまま休むのか?」
「いや、今年は休まねぇぜ、エリクにはわかってもらうつもりだ。それより、自分のこと考えろよ、カラン総司令」
 悪戯に笑い、ぽん、とエアーはカランの肩を叩く。カランは少しだけうつむき、すぐに踵を返すエアーの後ろ姿を見やった。
「お前もだよ、エアー総司令補」
 カランの声は小さすぎたが、エアーの耳にははっきりと届いた。エアーはカランが歩き出したことを耳で確認すると、背中を向けたままひらひらと手の平を振った。

 それから約一ヶ月後、エアーは姿を消す。反乱軍をウィアズ王国の端のスノータイラーまで追い詰めた、最後の戦いの時だった。
 最後に言葉を交わしたのは、エアーの副官であるマーカー・クレイアン・サーという男だった。
 エアーを誰よりも深く尊敬し、信じる彼は、エアーの上司であり相棒であるカラン・ヴァンダに向かって言った。
「隊長は墓参りにいかれました。二番隊は俺が指揮を取ります、ご安心下さい」
 最後の戦いの、早朝の出来事だった。

×     ×     ×

 あの日の会話は、未来を予測しているような会話だったと思う。
 漠然とした不安も、未来への希望も、実現するためにその日、彼らの前に現れたのだろう。
 スノータイラーの景色を眺めながら、大きく息を吐いた。戦死者の供養の陣頭を取るピーク・レーグンも、どこか浮かない顔で人並みを眺めている。
 死ぬわけがなかった、死なない確信があった。
 だが結局、確信なんてもの、どこにもなかったのだ。
 消えないのだと信じられてきた男が、生きた姿も、死んだ姿さえも見せない。運命の辛辣さを実感した気分でもある。
 だが、それでも希望を持ち続けたい。たとえ運命がそっぽを向いて尻を向けても、天魔の獣たちが嘲笑おうとも。
 彼はきっと今もどこかで生き続けている。
 だからもう一度会える。
 たとえ何年経とうとも、死んだ証拠がないかぎり、絶対に諦めない。

著×カラン・ヴァンダ

次話 : 壱話「来訪者」 Traveler by Peak Largn.
終読 : 旅行記 表紙


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