外伝『始まりの魔道士』 上
   ウィアズ王国では『始まりの魔道士』と呼ばれる魔道士が二人いる。後の世になろうとも、『始まりの魔道士』と称されるのは、この二人しかなかろう。
 年齢が姿にまったく現れないことと役職以外は、すべてが違う二人だった。一人は黒魔道士、一人は白魔道士。だが二人はどこか仲間意識のようなもので繋がっていたように思えると、二人を知る人は言う。
 黒魔道士の始まりの魔道士はウィアズ王国歴二五年、ウィアズ王国では唯一雪の積もる町、ベリュで生まれる。
 ベリュを治めるアントア家は、一家が騎士としての能力に長けているので有名だ。だが身に纏う雰囲気は穏やかで、あたかもベリュそのもののようだった。
 アントア家の屋敷の一番近くに、穀物を扱う店がある。小麦を多く扱い、ときたま自家製のパンを置いている。パンの味たるや町の中では大評判で、パン専門店には苦笑の的となっている。家名をレーグン。
 その店に、長子が生まれたのは、ウィアズ王国歴二五年、十二番目の月の二日目。生まれる赤子に与えられる魔力が一年で最大になると言われている一日目ではなかったにしろ、次の日に産まれたのだ。縁起がよい、と縁者は喜んだ。
 同年、アントア家には一歳になる男の子がいた。名前をリセと名付けられ、長子であるラグザードに疎まれながらも、健やかに育っていた。
 そのリセを抱いて現れたアントア家の当主の妻が、名付けの親になる。
 『ピーク』と。慈母の笑みを浮かべ、彼女は言った。
 名付けられた彼こそが黒魔道士の始まりの魔道士である。


 ウィアズ王国歴五十年、春。
 ピーク・レーグンは二四歳となって、ウィアズ王城城下町を――逃げ回っていた。


(くそっ! なんなんだよ!)
 ピークは胸中で毒づいた。ちらりと後ろを見やり、止まらずに走る。
(ライディッシュ呼べないしなぁ……)
 ふう、と小さく嘆息しながら、しかし必死に走る。腰につけた肌色の小さなバッグは四角く角張っている。これこそが逃げている理由。
「そっちだ! 捕まえろ!」
 指揮官の男の声が叫ぶ。ピークはちらりと見たが、整えられた身なりの弓士だった。昨年の式典で高等兵士として二列目に並んでいた男で、記憶に間違いがなければ名前はナーロウ・ワングァ。
 物影に勢いよく隠れて、ピークは嘆息した。民家の壁に背中をつけて、気分は泣けたら泣いてやりたい気分。とはいえ、悪いのは自分だということぐらいの常識は、いくらなんでもピークも持っていた。
 ピークは今しがた、人生何度目かの万引きをしてきたところなのである。万引きをする時はいつも魔法で顔を変えて、ばれにくいように魔法で細工する。――だが、今日はおかしかった。へまをしたつもりはないのに、万引きしたことがばれ、連続万引き犯であることも看破され、何処の誰とも知らない人間に大声で叫ばれたのだ。――『ここです、ナーロウ高等兵士!』
 ピークは後で知ることになるのだが、実は各所にビラが配られていたのだ。
『数年にわたり多発している万引き犯は、魔法を使っている可能性があります。あやしい魔法を使っている人を見つけたら、当番の高等兵士の名前を呼びましょう』
 とか、なんとか。
 ちなみに窃盗犯に課せられる罰は、ウィアズ王城城下町では、数日間広場にさらしものにさせられる。
 ――絶対に嫌だ。ピークは強く思う。
 そろそろ今季の収穫高の集計が終わって、穀物の値段が決定される。決定の発表をいち早くするのはやはり城下町だから、決定する時期に合わせて、穀物を取り扱う店の店主たちは城下町に集まるのだ。
 つまり、ピークの父親も。
(……今更見つかりたくねー……)
 実は家出中のピークである。家を出てから何年経ったか。一度も家に連絡を入れていないから、死んだものと処理されていることを望んでいる。――実家を継ぐ気が全くないが故。
「どうする……?」
 誰もいない虚空に話しかける。魔力がひと欠片でも残っていれば、返ってくる声もあったろう。だが使役している召喚獣ライディッシュにすら声も通じないほど、現在魔力が残っていない。――体力も。
 というか、体力と魔力は通じているから、どちらかが尽きた時は大抵、もう片方も尽きていることが多い。
(最近、まともな飯食ってなかったしなぁ……)
 普段ほとんど走らないピークにとって、高等兵士率いる弓士たちから逃げていることは、必死故のなすこと以外の何ものでもなかった。
 額を流れる汗を拭いて、大きく息を吐き出す。声が近づいてくるなあと、諦め半分に思う。
 逃げられないことは、誰より自分が分かっていたのだけれど。
(簡単に、諦めて、たまるか……っ)
 ピークは口を閉じ、腰に巻いていたバッグを放り投げた。バッグはドサ、と重い音を立てると地面の上で微動にしなくなる。
 ピークは反対側に歩きながら、大きく息を吸い込む。実を言えば先ほどから、目の前が白くなりかけている。
「隊長! いました!」
 誰かが叫んでいる。ピークは重い足を引きずりながら、「うぅ」と唸る。――一握りの魔力でもあれば。
 途端、ピークは地面に崩れおちた。疲労と空腹で、ピークは二度と動けないだろうことを悟る。――腹をくくろう、怒鳴りつけられてベリュに強制送還されることになったって。


□■


 本日の当番だった高等兵士ナーロウ・ワングァは唸っていた。本来風邪でもひいた人間を休ませるベッドの横で椅子に座りながら、昏々と眠っている青年の顔を、半眼で眺めていた。
「まさか、死にかけてまで盗むのが本とはな……」
 ナーロウは本を片手に、さらに唸った。ピークが盗んでナーロウが買い取った本だが、分厚い上に、何が書いてあるのかナーロウには少しも理解できないのである。
 王城付きの医士はカルテを書きながら、苦笑を浮かべてナーロウを見やった。
「罪人の世話をさせられるなんて、私も思っても見ませんでしたよ」
「俺だってここにつれてくるとは思わなかった。だがな、死にかけてる奴を見殺しにするほど目覚めの悪いものはなくてな……」
 ナーロウはボリボリと頭をかいて、ふう、と勢いよく嘆息した。
「リセを連れてきてくれないか。元気にさせて逃げられたなんて間抜け話はつくりたくない。あいつなら夕食も終わっているだろうし、ここで仕事をするならはかどる」
「ここに机なんてありませんって」
「それでも静かだ。小会議室は全部埋まっているだろうしな。俺もいつまでもここにいるわけにはいかん」
 医士は「はいはい」と答えると、部屋を後にして行った。
「うぅ」と、ベッドの上でピークが唸る。
「俺を罪人扱いするな……」
 ナーロウは眉を上げ「おや」と。
「お目覚めか」
「どうして、」
 ピークは苦しそうに眼を開けて、少しだけ周りを見た。
「こんなところにいるんだ?」
 ナーロウはこめかみをかいた。少しだけ肩をすくめて。
「ウィアズ王国はそれほど酷い場所じゃなかった、ということだろうな。ところで、腹をくくって倒れただろうお前に、幾つか質問をしなければならないが」
 ピークは額に手を当てて目を閉じ、「どうぞ」と。
「名前と出身地は」
「ピークでベリュ」
「ベリュ? マウェートかと思っていたがな」
「マウェート? 絶対違う」
「どうして物を盗んだ?」
「読みたかったから」
 言うと、ピークは嘆息して起きあがる。目は今だ熱を帯びて半分閉じている。
「いかがなもんなんだかな、ナーロウ高等兵士」
「欲しかったのならば働いて手に入れろ。でなければ失礼だと思わんのか。……っと、そろそろ俺は失礼するが、逃げようとは思わないことだな」
 ピークは「へぇい」と言うと、ぺこりとおぎをする。ナーロウは短く笑うと席を立ち、部屋から出て行った。
 部屋に入れ替わりに入ってきたのは先ほど出て行ったばかりの医士だ。医士はピークを見ると、にこりと笑って見せる。
「お腹空き過ぎてるでしょう。あとで女中さんが食事つくって持ってきてくれるそうですよ」
 ピークは眉を上げ「は?」と。
「俺の世話するなよ。どうせ、俺はさらし者にされる運命だっつーの」
「さらし者にされるなら、余計体調を万全にしておかないと!」
 医士がピークの額を叩いてベッドに寝かす。ピークはやられるがままにベッドに倒れ、また唸った。
「ウィアズ城の人間、バカだけかよ」
 医士は満面に笑顔を浮かべた。
「私はそういうバカが大好きです。でもこんなことするのは、ナーロウ高等兵士とか一部の人だけなんですけどね」
 ピークは半眼で医士を眺め「そーう?」と、口を尖らせる。
「で、バカの一人と称される、今年高等兵士に昇格されるリセさんがそろそろいらっしゃる頃なので、逃げても本気で無駄ですよ」
 ピークは表情を固めて「リセ?」と言葉を返す。医士は満面の笑みで「リセさんです」と即答。医士の即答にピークはむくりと起きあがった。驚愕で表情は凍っている。
「リセぇ?」
 ガチャリ、というドアの音を聞いて、ピークはすぐにドアの方向を見る。――開かれたドアの前に、青年が書類を抱えて立っている。
 色素の薄い茶色の細い髪、青い瞳。体の線は細い。青年はドアを開けた場所で立ちすくみ、ピークを凝視していた。
「ピーク?」
 静かな声音で青年――リセが問う。ピークは唖然としてリセを眺めた。
 リセは近くの誰もいないベッドに書類を置きドアを後ろ手で閉めると、ピークに走り寄り、肩を掴んでピークを睨みつける。
「ピーク! お前どうしてここにいるんだ!」
「捕まったからだよ! リセ!」
 ピークは叫ぶと、身体の力を抜いて、悪戯に笑いを浮かべて見せる。
 リセはピークの笑顔を見て、肩から力を抜いた。ふっと、笑うとピークに抱きついた。
「会えてよかった! 二度と会えないかと思ってた!」
 ピークはリセの背中を叩くと、同じく笑う。
「リセ最っ高だぜ!」
 再会は実に七年以上ぶり。ピークが家出ををしてから初めての再開だ。
 かつて、物心ついたころには友人だった二人の子供。別れるまでずっと共に暮らしてきた。お互い自分の家に居場所を見つけられず、遅くまでベリュの町で遊んでいた。
 この再会、あるいは、
 運命、だったのかもしれない。


「ところで、」
 ピークは女中が持ってきてくれた食事を摂りながら、上目遣いでリセを覗いた。リセは持ってきた資料に目を通しながら、苦笑を浮かべてちらりとピークを見た。
「どうしたんだ?」
「リセ・アントアがどうしてここにいるんだ?」
「それはこっちも言いたい。ピークこそどうして城下町にいたんだ? 聞いた話じゃ、何年も続いていた窃盗犯、だとか」
「リセは眉一つ動かさないんだな……まあ、いいけど」
 ピークは嘆息し、リセから目線を逸らした。
「家にいたくなかったから」
 リセは苦笑を浮かべる。
「俺も同じさ。兄貴と喧嘩して、それから家に帰ってない」
「ラグザート様は昔っからリセを目の敵にしてたからな……」
「知ってたのか?」
「まぁ、知らないほうが変」
 ピークは頭をかいてリセに肩をすくめて見せた。リセは小さく失笑すると、資料をそろえてわきに寄せる。
「今度、兄貴に謝っておいてくれないか」
 ピークは首を垂れ、頭の上で手の平を一度振り、ベッドに落下させる。
「ベリュに帰りたくない」
「明日、広場に出されるんだろう?」
 ピークは目を閉じ、頭をかいた。
 少しすると、ピークは至極真面目な顔で目を開けた。
「リセ、取り引きしよう」
「どんな状況でも強気に言うのは変わってないな」
「俺は真面目だ」
 ピークはリセの顔を見、片手の手の平を挙げる。
「親父を広場に近づけなかったら、俺は逃げない。けど、見つかったら逃げるよ」
 ぴくり、と片方の眉をあげてリセは訝って見せる。ピークはやはり真面目な顔でリセの顔を見据える。
「ウィアズ王国の中でなら、俺は逃げられる自信がある」
「捕まった人間の言える言葉じゃないぞ」
「あんなへまは二度とやらない。俺は『開始させる魔道士』だ」
 リセは目を細めてピークの顔を見る。開始させる魔道士というのは、ピークが自分の産まれた日にちなんで自分で呼んでいる名前だ。
「ピーク、変わらないな」
「リセこそ」
 ふ、と二人して笑い、お互いの手の平を打ち合わせる。
「善処しよう、でも本当に逃げるなよ?」
「約束する」
 こつん、と二人の手の甲がぶつかって、大きな笑い声が響いた。
 
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